バロックから古典派へ(From Baroque To Classic school)

 古典主義的なバロック音楽はヘンデルで終焉する。多声的なバロック音楽はバッハで終焉する。18世紀の後半から、イタリア、ドイツ、フランスの各地で、新しい動きがおこってくる。バロックの多声的で複雑な音楽ではなく、メロディーが中心になり、他の楽器はメロディーに従うような明快な音楽様式が生まれてくる。と同時に、バロックの古典的で荘重な様式は敬遠されるようになり、より自然で明朗な音楽が好まれるようになる。このような新しい音楽様式を古典派とよんでいる。古典派の音楽は、ハイドン、モーツアルトなどによって完成される。ハイドン、モーツアルトなどの音楽は後のヨーロッパ近代音楽の基礎になったので「古典派」とよばれるようになった。この「古典」という言葉は、美術用語でいう古典主義とはほとんど関係ないようだ。古典主義の「古典」とは、古代ギリシア・ローマの文芸のことを意味しているわけで、音楽用語の「古典派」とは区別して考えるべきであると思う。

バロック音楽から古典派に変化していった背景には、ヨーロッパの美術の変化があった。バロック様式からロココ様式への変化である。変化はフランスの宮廷美術から起こる。フランスでは、17世紀の荘重な古典様式から、18世紀に入るとより自然で流麗なロココ様式に変化していく。フランスの啓蒙思想家ルソーは、それまでの堅苦しい理念を重んじる古典主義を批判して、人間の感情に即したより自然な文化を支持する。ルソーの「我感じるゆえに我あり」「自然に帰れ」という言葉は彼の思想をよく表している。このような趣味と思想の変化は、フランスの宮廷では、室内装飾などが直線的な形から、自然な曲線的な形になり、美術も、古代の建築を背景にした絵画から、緑の自然の中に、くつろいだ貴族や神々が描かれるようになる。ロココ趣味は、緑の自然の発見であり、より自然な人間の動きの発見であった。このようなロココ様式は音楽にも影響を与え、音楽も、より自然で流麗な古典派に変化していった。

古典派のはじまり(The Beginning of Classic School)

 なんといっても、イタリアは音楽の先進国であった。古典派の発端はイタリアの作曲家ペルゴレージ(1710〜1736)の「奥様女中」に始まる。「奥様女中」は短いオペレッタであるが、ソプラノのアリア♪♪
が後のモーツアルトを想わせるような、自然で明朗なメロディーであったために反響を呼びヨーロッパの各地で演奏される。特にパリで演奏されたときには、フランスの古典的な音楽を擁護する保守派と、イタリアの明快な音楽を支持する派との間で論争になる。ルソーは熱心なイタリア派であった。

イタリアの古典派(Italian Classic School)

 音楽史では、イタリアの古典派の作曲家として、パイジェルロ、ボッケリーニ、チマローザなどの名が出てくるが、現在、演奏されたり、レコーディングされたりすることは極めてまれである。しかし、イタリアの先進的な音楽が、ハイドンの前期から中期にかけて、モーツアルトのザルツブルク時代に、多大な影響を与えていることは確かである。イタリアの古典派音楽は、概ねクリスチャン・バッハのスタイルに似ており、オペラが中心であり、ロココ調であり、従って前古典派のカテゴリーに入れられることもある。モーツアルトも、クリスチャン・バッハも、グルックも全て、イタリアで古典派風のオペラを学んでいるわけで、イタリアの古典派音楽がいかに進んでいたかということと、当時のイタリア音楽が、全ヨーロッパ的な影響力をもっていたかを理解することができる。


ガルッピのクラヴサン協奏曲(Galuppi's harpsichord concerto)

 ガルッピ(1706〜1785)は、ヴェネチアの前古典派の作曲家であるが、音楽史から云うとマイナーな人物である。彼の作品の多くはオペラであるが、近年クラヴサン(チェンバロ)の音楽が、古典派の傾向をもっとも早くから示していることで認識されるようになった。ここでは、クラヴサン協奏曲を取り上げて、古典派的な特徴を見てみることにしよう。

まず、バロック音楽では、クラヴサンは通奏低音の楽器であり、クラヴサンが協奏曲のソロを弾くことはまれであった。しかし、ガルッピはクラヴサンをピアノのように協奏曲の独奏楽器として使用している。しかも、クラヴサンの右手はメロディーを弾き、左手は伴奏といいうように古典派の特徴を表している。また、オーケストラもクラヴサンの伴奏として従属的な立場に置かれている。これらは、いうまでもなく、近代的な管弦楽法を予感させるものである。さらに、協奏曲は急緩急という楽章からなり、ほとんどが明快で爽やかな雰囲気をもっている。中間の楽章は歌うような愛らしい緩やかな音楽である。この様にしてみると、ガルッピのクラヴサン協奏曲が、後のモーツアルトの協奏曲にいかに似ているかが認識できる。それではクラヴサン協奏曲ト長調・ハ長調
♪♪を聞いてみよう。


                                         変奏曲       ©竹宮恵子

                                              

この協奏曲を聞いていると、いかにもイタリアらしい、明快で爽やかな、どことなく雅やかな雰囲気が横溢している。心が晴れ晴れするような明るさがある。とりもなおさず、この様な雰囲気は、ロココスタイルを基調にした古典派音楽の一般的な雰囲気でもある。

竹宮恵子の「変奏曲」は、ショパンの墓に二人の若者が花束を捧げている光景を描いている。背景は雪が積もっているが、光景は明るく爽やかで、どことなく雅やかな雰囲気が漂っている。明快なガルッピのクラヴサン協奏曲に、似つかわしい絵画ではないかと思う。

                          真の愛

                    夜来の吹雪 夢のごと
                    雪景色にぞ なりぬれど
                    朝日の光 眩しくて
                    覆ひたる雪 輝けり

                    空晴れ渡り 清々し
                    雪に映へたる 空の色
                    肌寒くとも 日の光
                    春の近きを 告げんかな

                    小さきころより 憧れる
                    ショパンの墓碑に 花捧げ
                    ピアノの詩人に 祈らんや
                    授けよかしや 霊感を

                    パリで出逢ひし 若人よ
                    吹雪もやがて うららかに
                    苦悩もやがて 歓喜(ヨロコビ)に
                    描けよかしや 芸術に
                    真(マコト)の愛の 永遠(トワ)なるを



ボッケリーニ(Boccherini)

 現在、イタリア古典派で最も有名な人物はボッケリーニ(1743〜1805)であろう。彼のチェロ協奏曲が、ハイドンのチェロ協奏曲と並んで、時折、演奏されたりレコーディングされることがあるからである。ボッケリーニのチェロ協奏曲は、古典派のチェロ曲として知られている。イタリアの古典派の作曲家のほとんどが、オペラ作家であるのに対して、ボッケリーニは、作品の大部分が器楽曲であり異色な存在になっている。それは、ボッケリーニがチェロの名演奏家として歓迎されたことにもよるが、彼は、スペイン大使の薦めによりスペインの王家に行くが、すでに、ドン・カルロス4世の宮廷音楽家として、ブルネッティが信望を得ており、ボッケリーニは、王弟ルイスの室内楽音楽家としての地位に甘んじなければなっかた背景があると思われる。彼の作風は、明快で爽やかな典型的な古典派風の作風を示している。ソナタ形式の芽生え、強弱のアクセント、独奏楽器の華やかさという点などに古典派の構成的な特徴を表している。また、明るさに含まれる抒情性などイタリア的な雰囲気をもっている。

ここでは、ボッケリーニのフルート協奏曲ト長調第1楽章♪♪の風景をみてみよう。第1楽章は、いかにもイタリア風な5月の新緑を思わせるような明朗な曲である。ザルツブルク時代のモーツアルトのフルート協奏曲ともよく似ているが、モーツアルトのフルート協奏曲は、もっと流麗でありロココ調が濃厚に反映している。ボッケリーニのフルート協奏曲は、より自然的であり、ハイドン的であると云えるかもしれないが、明快なメロディーに仄かな抒情性が感じられるのが、いかにもイタリアの作曲家らしい。

                                                    自選複製原画集      ©萩尾望都    

                                       

この萩尾望都の原画には、次のような詩句がのせられている。
   
                    想ひ 出づる 
                    海の 遙かなる音色
                    風と 砂との 
                    心地よき ふれあひ
                    波の 打ちては返す潮騒
                    遠き 遙かなる貝の音(ネ)
                    水鳥の 楽しきたはむれ 
                    雲や雨の 動揺
                    光や人の 歓声 
                    一幅の 絵画のごとく
                    めぐりくる 夏の 
                    遙かなる 思ひ出   


水色の海の流れは、空の碧さであり、少年の緑の髪と服は、夏の自然でもあり、澄んだ少年のまなざしは、永遠の純真さでもある。ボッケリーニのフルートの音色は、そのすべてを美しく物語っている。少年時代の無垢なおとぎ話のような、すべてが明るく、そして憧れに満ちていた日々を・・・



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