ブルックナー

 ブルックナー(1824〜1896)の交響曲には、いくつかの共通した性格がある。一つは「自然性」である。ブルックナーの交響曲には、雄大なアルプスや広大な宇宙が力強く神秘的に描かれている。それとともに、小鳥がさえずるような静かな森の光景がよく現れる。もう一つは「宗教性」である。宗教的といっても、伝統的なカトリックやプロテスタントの教会音楽ではなく、雄大な自然や悠久の宇宙を創造した神に対する畏敬の念に近い宗教感情である。ブルックナーは、宇宙を創造した神に対して、独特の宗教体験をもっていたと思われる。その体験は、彼の交響曲の中で、宇宙の鳴動のような響きで表されている。ブルックナーの交響曲の中には、森を一人でさまようような情景が時々現れる。偉大な自然に対して、人間は小さい存在にすぎない。その孤独な寂寥感もやがて、神に対する帰依と祈りの中に吸収されていく。

交響曲第3番

川辺の宗教都市             シンケル


第1楽章は、宗教的雰囲気と森の風景とが融合したすばらしい楽章である。第1楽章の冒頭の弦のさざ波をぬってトランペットが第1主題を提示する部分は、教会のステンドグラスを思わせ、神秘的な雰囲気を感じさせる。そしてしだいに最強奏に至るにしたがって、中世のゴシックの大聖堂のイメージに発展していく。第2主題は、瑞々しい緑の森の風景であり、このゴシックの聖堂が緑の森に囲まれていることが連想される。このようにして、この楽章では、教会の雰囲気と緑の森が一体となった風景が繰り広げられていく。

シンケルは、ドイツ・ロマン派の画家である。この絵は、ナポレオンを撃退した解放戦争直後に描かれた。ナポレオンからの解放戦争はドイツの民族意識を高め、ドイツ・ロマン主義運動を一層高めた。ゴシック建築はドイツ文化の象徴とされ、ドイツ・ロマン派は中世の神秘主義に傾倒していく。ブルックナーの交響曲第3番の第1楽章♪♪は、特にゴシックの大聖堂を連想させる宗教的な雰囲気と森の自然とが融合した素晴らしい楽章で、シンケルの「川辺の宗教都市」と精神的な風景が一致している。

第2楽章のアダージョは、森の散策であり、森の息吹と森での瞑想である。

第3楽章は、風のそよぎとのどかな田舎の風景を感じさせるスケルツォである。

第4楽章では、風のそよぎは疾風に変わり森を駆け抜ける。森のざわめきは大自然の風景に高まってフィナーレを迎える。

交響曲第4番 

第1楽章は、アルプスの雄大な自然が、まるでパノラマのように繰り広げられていく。ふもとの森で眺める散策者の姿もみられるが、雄大な自然の景色の中に溶け込んでいく。代表的なブルックナーの自然賛歌の楽章である。

第2楽章は、孤独な森の散策である。寂寥感が漂っているが、センチメンタリズムはない。その寂寥感も大自然の畏敬の念に吸収されていきこの楽章を閉じる。

第3楽章は、ブルックナー自身の解説通り、中世の深い森の中で、白馬の騎士たちが城門から駆け抜けていくような幻想を抱かせるスケルツォである。

第4楽章は、大自然への畏敬の念と森の孤独な散策が一体となった楽章である。この楽章の冒頭で、宇宙の鳴動がとどろくが、これはブルックナーが大自然の創造主から得た宗教的な体験を表したものである。この鳴動は、交響曲第3番の第1楽章にも登場し、ゴシックの大聖堂をイメージさせるものがある。つまり、この宇宙の鳴動は濃い宗教的な意味合いをもっている。この宇宙の鳴動の後、森の孤独な散策の風景になる。このようにして、大自然からの霊感と森の孤独な瞑想とが交互に現れて、深い意味での自然賛歌の楽章になっている。


交響曲第七番

 交響曲第七番は、第八番と対照的に暁から朝の薄明を現している気がしてならない。第二楽章は例外である。第八番が夕暮れから夜の世界を表現していたのとは対照的だと思う。暁から朝の高部オーストリアの自然を敬虔な気持で表していると思う。第八番の宇宙的なスケールはないが、高部オーストリアの山岳地帯を散策して、山岳の霊気を吸っているような心象風景がある。七番の第三楽章は、四番の第三楽章と伴にブルックナーの交響曲を理解されることに大いに貢献した。

 ブルックナーの心象風景は、ドイツ浪漫派の画家フリードリッヒの世界と一致している。フリードリッヒも「薄明の画家」と呼ばれるように、ドイツの自然の朝や夕方から夜の風景を神秘的に表現している。ドイツ浪漫派の画家であるフリードリッヒはドイツ浪漫派の作曲家ブルックナーとは幸福な邂逅をなしていると思わざるを得ない。

第一楽章♪♪
オーストリアの山岳地帯の暁から朝にかけての情景を表している。散策による山岳の霊気との一体化と大自然の創造者への祈りなどが含まれている。

リーゼンゲビルゲ           フリードリッヒ


第二楽章♪♪

美しい緩除楽章である。ブルックナーは、この曲を書いているときに、ワーグナーの訃報を耳にした。そして、この曲をワーグナーの葬送曲にすることにしたと言われる。偉大な楽匠が亡くなる様をアルプスの夕日に喩えられないだろうか。

アルプスの夕日


第三楽章♪♪

アルプスの高峰を眺めているような高揚感がある。

ヴァッツマン               フリードリッヒ


第四楽章♪♪

山岳的な出だしある。麓を彷徨うが最強奏のテーマが出現して、奇岩の山を連想させる。

岩山の峡谷      フリードリッヒ


交響曲第8番

第1楽章♪♪は、アルプスへの霊感に満ちたすばらしい楽章である。雄大な自然と森の風景が交互に現れるところは、これまでの交響曲と変わらないが、最強奏の時の金管楽器が刺激的で、アルプスから迫りくる霊感のようなものを感じさせる。さらに、雄大な自然を越えて宇宙の世界へ誘っているのもこの楽章の特徴のように思える。そして、アルプスに静かな夕暮れが訪れてこの楽章を終わる。

                                 チロル        マルク 

                     

マルクのチロルは、アルプスの黎明を描いた作品である。この絵には、画面を越えて迫りくるアルプスの予感のようなものがある。ブルックナーの第8番の第1楽章もこのようなアルプスの霊感に満ちた楽章である。

第2楽章は、夜の世界であり、広大な宇宙に想いをはせている。孤独な寂寥感もあるが宇宙への想いの中に吸収されていく。中間部のトリオでは、ハープが登場して星空を美しく表している。

交響曲第8番第3楽章 ♪♪

「アフロディーテの恋歌」 



第3楽章は、夜の賛歌であり、宇宙への瞑想である。また、この楽章は、ブルックナーのロマンチシズムの最高傑作である。ハープが、夜空にきらめく宝石のような星々を美しく奏でている。夜の世界に無限のロマンを求めたのは、ドイツロマン派の特徴である。昼の世界は、物体の世界であり有限な形態の世界である。それに対して、夜の世界は、形態に縛られることなく、無限のロマンを夢想することができる。ブルックナーも、夜の世界で無限の宇宙に夢想をはせている。

古代ギリシアの古い説話によると、アフロディーテ
生まれ故郷のデロス島が攻め滅ぼされ、アフロディーテは、ロードス島で監禁生活を送っていた。アフロディーテには、予知能力があり、18才の月夜の晩に彼女を迎えに来る人があることを知っており、毎日夜空の星に望みを託して、竪琴をもって歌っていた。

「アフロディーテの恋歌」では、竪琴を弾きながら、アフロディーテが、一日千秋の想いで、祈るように星空に願いを託している情景が描かれている。夜空にまだ見ぬ恋人を想い、限りない夢想を馳せている。

夜の讃歌

 ここで、ドイツロマン派の詩人ノヴァーリスの
「夜の讃歌」の一節を紹介しておこう。ノヴァーリスは、若くして亡くした恋人を夜空に喩えてこの詩を詠んでいる。

               夜の讃歌       ノヴァーリス

        夜開く心の眼は 星にもまして気高く

        天の軍勢の 蒼ざめたる光より

        さらに 遙かなり

        心の眼は 歓喜を以て

        大空の 奥の如何(イカン)を知る

        そは天の女王(聖母マリア)にして 聖なる告知者(天使ガブリエル)なり

        至福の守護者こそは 讃むべきかな

        そは愛しき恋人 夜の日輪(永遠の恋人)を授けたり

        今こそ 目覚めんとす

        吾は汝(恋人)なり、汝は吾なり

        汝は告げん 夜こそ命なりと

        かくて吾は 甦(ヨミガエ)り

        霊の炎よ 燃え上がれ

        この身が 風(精霊)となり

        汝と 交わるために

        婚礼の 夜が

        永遠(トワ)に つづかんために

第4楽章は、宇宙への畏敬の念と宇宙への瞑想である。大宇宙に比べ人間は余りにも小さな存在にすぎない。その孤独な寂寥感もやがて、大宇宙の創造者への帰依と祈りの中に吸収されていく。そして、孤独な存在者は宇宙への畏敬の念に満たされてこの交響曲を終わる。

交響曲第9番

第1楽章は、宇宙からの神の啓示であり、神秘的な雰囲気の楽章である。ブルックナー特有の弦のトレモロで開始されるが、やがて最強奏の宇宙の鳴動に高まっていく。この宇宙の鳴動は、ブルックナーの交響曲にしばしば現れるもので、ブルックナーが大自然や大宇宙から受けた神からの神秘的な体験を表している。この宇宙の鳴動は、後半にも繰り返され、この楽章が宇宙から受けた神の啓示をしめしたものであることを決定づけている。第2主題は、宇宙への瞑想であり「愛する神」への郷愁のようなものを感じさせる。

第2楽章は、神秘的なスケルツォである。このスケルツォを聞いていると、宇宙の鼓動や神秘的な宇宙から受ける戦慄のようなものを感じる。私は、富士山の八合目の山小屋から夜の星空を見たことがあるが、その星空は地上から見るものとは違い、星のあまりにもの多さに驚き、宇宙を直視したような神秘性を越えた戦慄のようなものを感じたことがある。このスケルツォを聞いていると、その時の体験を思い出してしまう。

第3楽章 ブルックナーはこのアダージョを書き終えて1年ほどでこの世を去っている。このアダージョは、ブルックナーの辞世の心境を語ったものである。ブルックナーは、大宇宙へ想いをはせるとともに、「愛する神」への郷愁をあらわし、神のみもとに召されることを静かに受け入れている。ブルックナーにとって死は不吉なことではなく、むしろ「愛する神」のみもとに帰ることのできる人生の終着点であった。

交響曲第8番の演奏

 ここで、ブルックナーの代表的な指揮者であるカラヤンとヴァントの指揮を比較してみよう。なぜこの二人を取り上げたかというと、ドイツロマン派の粋をいくカラヤンの演奏とブルックナーの解釈で高い評価を得ているヴァントの瞑想的な演奏は、ある意味で対照的であり、比較することで両者の特質がよりよく現れてくるからである。使用したディスクは、カラヤン指揮・ウィーンフィル・1988・ハース版とヴァント指揮・北ドイツ放送交響楽団・1993・ハース版である。まず、各楽章ごとの比較をして、それから総括をしてみたい。

第1楽章
カラヤンの第1楽章は、雄大なアルプスと森の風景が交互に現れてきて、起伏に富んだ変化のある演奏である。特に金管楽器の活躍が目立ち、アルプスからのインスピレーションのようなものを感じさせる。やがで、冒頭の低弦のテーマが現れ、アルプスの夕暮れで終わるのはさすがである。

ヴァントの場合、冒頭と最終の瞑想的な低弦テーマがこの楽章を統一しているように思える。カラヤンのように激しい起伏はなく、アルプスも森の風景も一体となってゆっくりと流れていく感じである。激しさの中にも透明感があり、深さを湛えている。

第2楽章
両者の演奏に本質的な違いはない。しいていえば、カラヤンの方が金管楽器がよく響いており、宇宙の広がりを感じる程度だろうか。両者ともに、想いを広大に宇宙にはせた優れた演奏である。

第3楽章
このアダージョは、夜の賛歌であり、宇宙への瞑想である。カラヤンは、星空に無限の夢想をはせている。起伏のある美しい演奏により、ドイツロマン派の究極に到達している。最後のコーダも神秘的な宇宙の賛歌である。

ヴァントのアダージョは、カラヤンに比べると地味で、内省的である。悠久の宇宙への瞑想を想わせる。最後のコーダで、孤独な存在者は、宇宙の創造主への帰依と祈りの中に吸収されていく。

第4楽章
この楽章は、ブルックナー特有の寂寥感の強い楽章になっている。カラヤンはこの楽章では、ブルックナー特有の寂寥感を表情豊かに表している。弦楽器や木管楽器がよく歌っている。フィナーレは圧倒的で大宇宙への畏敬の念に満たされて終わる。

ヴァントは、寂寥感をカラヤンよりもゆったりしたテンポで、しみじみと味わい深く表現している。弦楽器も管楽器も一体になって純化された透明感を感じる。宇宙の創造主に対する郷愁を感じさせる。ふと孤独な散策者が見え隠れする。フィナーレはこの交響曲の最高潮となって終わる。

総括
カラヤンは、ウィーンフィルの全ての楽器を雄弁に使い、ダイナミックでロマンチックなブルックナーを創作している。特に第1楽章は、アルプスの霊感に満ちたすばらしい楽章である。また、第3楽章の夜の賛歌はドイツロマン派の極致に到達している。

ヴァントは、弦楽器と管楽器の一体化を図り、より純化された透明なブルックナーを表現している。特に、第3楽章と第4楽章は、宇宙への瞑想や孤独な存在者の寂寥感がしみじみと感じられ、ブルックナーの内面性を追究した優れた演奏である。


テ・デウム

 ブルックナーの最も有名な宗教曲である。この山岳的な宗教曲は、ドイツ浪漫派の画家フリードリッヒの世界と共通している。ブルックナーの作品の中では比較的明快な作品であり、難解なブルックナーの交響曲の理解の先駆けをなした上でも明記すべき作品である。カトリックのラテン語の通常文に従って作曲されている。

第一曲 神なる御身を♪♪
力強い合唱で始まり、「聖なるかな」を絶唱する合唱が印象的であり、神の栄光を熱く賛美する。

山上の十字架(祭壇画)  フリードリッヒ


テ・デウムの第一曲とフリードリッヒの「山上の十字架」の風景は一致している。フリードリッヒの山上の十字架は、山岳的な十字架を神秘的に描いてるが、ブルックナーのテ・デウムも山岳的な宗教性を神秘的に描いてるからである。フリードリッヒの山上の十字架から神秘的な光が発してるが、ブルックナーのテ・デウムの合唱も宗教的神秘性を示している。

第二曲 それゆえ我らは御身に願ひ奉らん
ドイツ・浪漫派的な美しい祈りの歌である。

第三曲 永遠(トワ)なる栄光の内に
第一楽章の力強い合唱が再び戻って来る。

第四曲 汝の民を救ひ給へ♪♪
ドイツ浪漫派的な美しい楽章である。ブルックナー的な祈りの心が表れている。

山上の十字架             フリードリッヒ


第五曲 主よ御身に望み託し奉らん♪♪
重唱から合唱に移り、最後は第一曲の主題が回想され、宗教的な威厳を持って、力強く締めくくられる。

山中の十字架          フリードリッヒ



ミサ曲第二番ロ短調

 ブルックナーには優れたミサ曲が三曲ある。1856年(32歳)からリンツ大聖堂のオルガニストになり、本格的に音楽理論をマスターする。オルガンの演奏では当代第一人者になっていたが、首都ウィーンから離れた地方ではほとんど認められることはなかった。そのような中で、偶然ワーグナーの「タイホイザー」と「トリスタンとイゾルデ」を聞き非常な感銘を受ける。その影響下で、第一交響曲(1866)を作曲した。その前後に傑作のミサ曲を三曲立て続けに作曲して、好意的に迎えられた。

特に第二番はカトリックのミサ曲として傑作の誉れの高い曲である。小規模な管弦楽と合唱とからなり簡潔な作品であるが、その世界の深遠さは、パレストリーナを凌いでいると言っても過言ではない。ブルックナーはすでに徹底的に対位法の研鑽を積んでいた。パレストリーナのミサの清澄さとドイツ浪漫派の神秘性を兼ね備えた究極的なミサ曲である。随所にパレストリーナ的なフレーズをみることが出来るが、ドイツ浪漫派的なゴシックの大聖堂をみるような壮大さと神秘性は素晴らしいの一語に尽きる。

同じオーストリアのハイドンのロココスタイルのミサとは世界を異にしている。ドイツロマン派の画家フリードリッヒの世界との共通性もあり、また中世末期からルネサンスの美術にも共通性があり、神秘的な美しさに彩られている。これから、その世界を美術やカトリシズムと伴にみて行きたい。演奏はリリングの指揮の1996年にレコーディングされたディスクであり完璧な演奏である。

キリエ♪♪
このキリエはこのミサ曲でも特に優れていて、ブルックナーの霊感を十二分に発揮されている。主に二部からなっており女声合唱の神秘的な響きから始まるが、ドイツ浪漫派の結晶とも言える声楽であり、次第にゴシック的な高まりをみせて最高潮に達する。再び簡潔に繰り返されて曲を締め括る。カトリックの神秘的な教説を表現していると言っても過言ではない。

キリストの受肉と諸聖人  ピエロ・ディ・コジモ


ピエロ・ディ・コジモの傑作であるだけっでなく、イタリアルネサンスの最高傑作の一つとも言っても過言ではない作品であり、聖母マリアの優雅さと神秘的な表情は他を凌駕している。鳩は聖霊を象徴しており、マリアの処女懐妊を意味している。画面も、手に棕櫚を持つ殉教者聖カテリーナや教会の鍵を持つ聖ペテロなどが巧みに配置しており、16世紀の初頭の作品とは思えない位劇的である。このキリエの清澄で神秘的な雰囲気を見事に視覚化していると思う。

                              主イエズスのご降誕

                            「その六月めに 御使ガブリエル
                            ナザレと言ふ ガリラヤの町におる
                            乙女のもとに 神より遣さる
                            この乙女は ダビデの家のヨセフと言ふ人と
                            許嫁(イイナズケ)なりし 者にて
                            その名を マリアと言ふ
                            み使 乙女のもとにきたりて曰(イワ)く
                            「めでたし 聖寵(セイチョウ)満ちみてるマリヤよ
                            主 汝と伴にまします」
                            マリアはこの言葉によりて 心いたく騒ぎ
                            かかる挨拶は 如何なることぞと
                            想ひめぐらしたるに 御使曰く
                            「マリアよ 怖るるな 
                            汝は 神のみ前に恵みを得たり
                            視よ 汝身ごもりて男子を生まん
                            その名を イエズスと名づくべし
                            彼の人 大ひなるいと高き者の子と
                            称へられん
                            また 主たる神 
                            彼の人に 父ダビデの位を与へ給はば
                            ヤコブの家を 永遠(トコシエ)に治めん
                            その国は 終はることなかるべし・・・」(ルカ伝)

                            ローマ皇帝アウグストゥス 
                            全国の民に
                            戸籍登録すべき 勅令発布す
                            聖家族も 登録すべく
                            ベツレヘムに 出向きたり
                            荒野の最中にて マリア産気づき
                            ヨセフ 洞窟をみつけ
                            ベツレヘムの郊外に 産婆を探しゆきたり

以下スウェーデンの14世紀の神秘主義者聖ビルジッタの「キリストの降誕に関す黙示」により抜粋

                            霊視にて岩屋の飼葉桶の傍らにて 
                            瞑想したりけり
                            この世の人とは 想はれざる
                            美(ウル)はしき乙女 現れたり
                            白き優美な マント召し給ふ
                            聖母マリアなること 一目瞭然なり
                            聖母マリア 履物とマント脱ぎ給ひ
                            御髪(ミグシ)のベールも 外し給ふ
                            内側の召物に なり給へば
                            美しき金髪を 解き給ふ
                            肩から背へ 流るる御髪の
                            美はしきこと 比(タグ)ひなし
                            嬰児(ミドリゴ)を くるむリンネルと
                            毛織の布を 取り出し給ふ
                            聖母 跪(ヌカヅ)き 
                            東の方(カタ) 天を仰ぎみて
                            両手を 広げ給ふ
                            天をみつめ 黙想の境地に入り給ふ
                            祈り捧げる間に 御子(ミコ)胎内で動き給ひ
                            されば 間もなく世に誕生し給ふ
                            御子 後光さしたり
                            日の光も 及ばざるが如し
                            出産は またたく間なり
                            御子裸にて 地面に横たはりたり
                            清らなること 玉の如し
                            かしこから 天の楽奏聞こえけり
                            聖母 頭(コウベ)を下げ合掌し
                            謹んで 斯くの如く曰く
                            「我が神 我が主 我が子よ 
                            ご誕生 目出度きこと限りなくはべらん」

                            間もなく、赤子寒気に震へ給へり
                            泣きながら母に向き 手足を伸ばし
                            母の温もりと 愛を求め給ふ
                            御母マリア 手を差し伸べ
                            かたく 抱き寄せ
                            ふくよかなる胸で 暖められ給ふ
                            愛しく 頬ずりせんとす
                            聖母床に座り 御子を膝の上(エ)に乗せ
                            小さき身体(カラダ)を 愛しく愛撫し
                            リンネルと毛織の布で くるみ給へり

                            しばらくし ヨセフ産婆と返り来て
                            御子の前に跪き 感極まりて
                            涙 こぼしたり
                            出産の 直後なれども
                            聖母マリア 疲労なく気分もよからん
                            大役の後は 女はとく疲れしものを
                            ヨセフに 助けられ
                            聖母マリア 御子を飼葉桶に
                            寝かしつけたり
                            二人とも 込み上げてくる嬉しさに
                            御子を 深く拝し給へり

グローリア♪♪
グローリアのミサ通条文を巧みに歌って行くが、イエズスの贖罪の通条文から静粛なり美しい女性合唱がつづき、再びグローリアの響きに戻る。その後最後のアーメン合唱が素晴らしく、ドイツ浪漫派風の神秘性の高まりは筆舌に尽くしがたい。

神殿の聖母 イーゼンハイム祭壇画(部分)


ドイツルネサンスの傑作と言われるグリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画の一部で、神殿のマリアを描いている。イーゼンハイム祭壇画は、難病治療の本尊としてつくられたもので、厳粛さと神秘性を極めている。実際に霊験あらたかであったと言われる。純粋なドイツルネサンスの産物である。

マリアは三歳の時にユダヤ教の神殿に預けられ巫女として十二歳まで育てられた。そのころのマリアを描いたものである。前方の透明な水差しは、マリアの清らかさを象徴していると言われている。マリアの頭上に二人の天使は、マリアが聖別された衣食を摂っていたことを表してる。このグローリアの最後のアーメン合唱は神秘を極めており、この絵画に似つかわしい。

                              神殿のマリア   ヤコブ原福音書より

                            ヨアキム(聖母マリアの父)裕福なる 
                            ヘブライ人(ビト)なり
                            イスラエルの子の なきことを 
                            責められ 悲しみて 
                            荒野に 赴(オモム)き
                            四十日四十夜 食を断ち
                            子の授かることを 神に祈りき

                            彼(カ)の妻アンナも 悲しみ
                            斯くのごとく 祈りき
                            「空の鳥さへ 主よ み前に子を持ちたり
                            地の獣さへ 主よ み前に子を持ちたり
                            こなたの水さへ 主よ み前に魚を生みたり
                            この大地さへ 主よ 実を結びたり
                            悲しきや 吾は一体何ぞや
                            サラ(アブラハムの妻)に 子を与えた如く
                            吾にも 恵み給へ」

                            視よ 主のみ使ひ傍らに立ちて曰く
                            「アンナよ 主 汝の祈り聞き入れ給へり
                            子を 孕(ハラ)まんや
                            その子は 全世界にて誉められん」
                            アンナ曰く
                            「子を授かれば、その子神に捧げん
                            生涯主に 仕はすこと誓はんや」
                            また ヨアキムにも
                            子の授かること 伝へられん
                            ヨアキム 荒野より戻りて
                            門にて アンナと接吻す
                            その時 アンナ聖霊にて身ごもれり(無原罪の御宿り)

                            アンナ 月満ちて女子を出産す
                            その名を マリアと名づけたり
                            幼児 一歳になりしとき
                            ヨアキム 大宴会を催し
                            イスラエルの民の 多くを招き
                            神に 感謝す
                            大祭司 幼児を祝福して祈りて曰く
                            「いと高き神よ この子を顧みて
                            恩寵の極みを以て 祝福し給へ」

                            マリア 三歳になりし時
                            誓約通り 神殿に捧げんや
                            すると マリア聖霊に満たされ
                            踊り喜び 主を賛美す
                            マリア神殿にて 鳩の如く養育され
                            天使に聖別された衣食を 摂取せり

                            マリア 十二歳になりて
                            聖所を退く 年齢になりき
                            巫女マリアの 養父を求めんとす
                            イスラエルの民より 男やもめを集め
                            各自に 杖を持参さす
                            ヨセフ 杖を持ちて神殿に入りたれば
                            鳩が 杖にとまりたり
                            初老のヨセフ 遠慮すれども
                            神を怖れ 大祭司の言葉に従ひ
                            巫女マリアの 養父になりにけり

                            巫女マリア 十六歳の年
                            天使ガブリエルの お告げを受け
                            聖霊にて 救世主イエズスを身ごもり給ふ
                            巫女マリア 身ごもりて
                            ヨセフ マリアの懐妊を知り
                            驚嘆して 神を怖れ慎む
                            み使ひ ヨセフに夢で告げ
                            神の子を 宿すことを知らせたり

                            へブライ人 巫女マリアの懐妊を知ると
                            ヨセフとマリアを 疑ひたり
                            厳しく 咎められ 
                            律法の 神明裁判を受けれども
                            異変無く
                            無罪放免さる

                            皇帝アウグストゥスの 命で
                            聖家族 ベツレヘムへ 
                            戸籍登録に ゆきたり
                            マリア産気づき 洞窟をみつけ
                            ヨセフ 産婆を捜し求めたり
                            視よ 輝く雲 洞窟を覆へり
                            雲去ると 大いなる光照らさんとす
                            光消へ 嬰児(ミドリゴ)の声聞こえたり
                            嬰児 御母マリアの乳にすがりたり
                            産婆 嬰児に近寄り
                            抱きかかえて曰く
                            「吾 御子を深く拝まん
                            イスラエルの君になられる方なり」
                            産婆洞窟を出ると 天より声かかりたり
                            「サロメ 汝のみた不思議
                            御子の エルサレムに入るまで
                            語るべからず」と


クレド♪♪
信仰信条を力強く歌っていくが、やはりマリア処女懐妊の通条文から美しい女性合唱になり、パレストリーナのミサの雰囲気を彷彿とさせる。復活の通条文から再び力強い響きに戻り永遠の生命を讃えて終了する。

受胎告知    ケルン大聖堂


ゴシック式の聖堂のステンドグラスの中でも最も美しいものの一つである。多彩で人物も優雅である。ブルックナーのミサは、このような中世のステンドグラスがよく似合う。クレドの中のマリア処女懐妊の静粛で美しい合唱にふさわしい。

サンクトゥスとベネディクトゥス♪♪
パレストリーナ風の美しい賛美で始まるが、次第にゴシックの教会が浮かび上がってくるような壮大さになり感動的に終わる。ベネディクトゥスは、ウィーン古典派の典雅なベネディクトゥスとは異なり一番地味な部分であるが、牧歌的な美しさに綴られている。最期にホザンナの賛美で終わる。

聖母戴冠  フラ・アンジェリコ


聖母マリアは、イエズスの十字架下で苦悩を伴に耐え忍び、無原罪のまま被昇天して、多くの天使や諸聖人の前で、キリストにより勝利の冠を授けられた。これは古来からある信仰で、カトリックの正式な教説として認められている。サンンクトゥスは、聖母戴冠を賛美しているとみることも出来る。このミサのサンクトゥスも初めは、このような美しい天使の合唱で始まる。

                              聖母マリア賛歌   トマス・ア・ケンピス

                            誉めよ 讃へよ 賛美せよ
                            あゝ聖母マリアよ
                            神より すべての女性に勝る
                            恵みを 賜りし女(ヒト)よ
                            天上にては 
                            讃へ歌ふ天使聖人の上
                            神の玉座の傍ら
                            栄光の座を
                            神より賜はりけり

                            栄光の乙女マリアよ
                            神の娘 イエズスの御母よ
                            御身の謙遜は尊く
                            清らなることこの上なく
                            愛は誠に厚く
                            素直で忍び強く
                            憐れみは実に優しく
                            祈りは実に熱く
                            黙想は実に深く
                            観想は実に高く
                            同情は実に濃やかにて
                            常に支へ助けんや

                            あゝ聖母マリアよ
                            御身は神の家
                            御身は天国の門
                            喜びの庭
                            恵みの泉
                            天使の如き栄光
                            人類の救ひなり

                            御身こそ 命のこもりたる技(ワザ)
                            徳の輝き
                            日の光
                            不幸な者の望み
                            病む人の癒やし
                            寄る辺なき子らの母

                            あゝ乙女の中の乙女
                            美しきこと限りなし
                            星の輝き
                            薔薇の愛らしさ
                            暁の美(ウル)はしさ
                            月の慎ましさ
                            真珠の輝き
                            日の輝きを
                            御身にましませり

                            あゝ御身乙女の内の
                            命は子羊の如く優しく
                            み心は鳩の如く汚れなく
                            美しき妃の姿は慎ましく
                            へりくだりたる使ひ女(メ)の
                            振る舞ひはうやうやし

                            あゝ聖母マリアよ
                            聖なる木よ
                            高くそびへる杉よ
                            実りたわむ葡萄よ
                            高くもかたき糸杉よ
                            栄光の満ちたる棕櫚(シュロ)よ
                            御身の中にこそ
                            すべて善きもの収められん
                            御身によりてこそ
                            すべての喜びが約束されん

                            あゝ聖母マリアよ
                            幼子(オサナゴ)が最愛の母の本にゆく如く
                            みなし子が愛する人の女(ヒト)にゆく如く
                            頼もしく駆け寄らん
                            すべての危険より守り給へ
                            御身の祈りにて
                            すべての不幸を免れんことを

                            あゝ聖母マリアよ
                            香(カグワ)しくも
                            美はしき黄金の薔薇よ
                            吾が祈り
                            御身の本に昇りゆかんことを

                            こなたに吾立ちたり
                            悩み苦しみたれども
                            御身を愛を堅く信じ
                            御身の家の戸を叩きつつ
                            立ちて待てり

                            実に御身は
                            慈しみの御母
                            罪人に赦しの望みを賜らんや
                            あゝ聖母マリアよ
                            御身の優しさと善徳は
                            この世のすべてのものに
                            勝らんや

                            御身はすべての
                            諸聖人の栄光より高く
                            誉れより高く
                            祝福された霊魂の徳
                            慈しみ
                            愛らしさ
                            諸聖人の美しさよりも
                            高く上げられん

                            さもなくば
                            あゝ聖母マリアよ
                            かくの如く不幸な者を
                            限りなき優しさと
                            多くの慰めと
                            深い懺悔に
                            満たすこと出来んや

                            御身は決して
                            貧しくなりたることなからん
                            何となれば 御身の内に
                            すべての徳の泉が
                            閃(ヒラメ)きていればなり
                            御身は天国の誉れ
                            諸聖人の喜び
                            聖なるものの柩(ヒツギ)なり

                            吾らの祖先は
                            御身をひたすら
                            お慕ひ申し上げはべらん
                            選ばれし御母よ
                            選ばれし乙女よ
                            地上のすべての罪の赦しを
                            天にてはすべての宝を
                            お与え下さる尊き方よ


アニュス・デイ♪♪
ベートーヴェンのミサ・ソレムニスを想わせる静かでロマンチックなアニュス・デイである。ミサの最後の部分らしく、天上に昇っていくような清らかさと安らかさでミサを終了する。

聖母被昇天        ルーベンス



聖母マリアは、キリストスの昇天後もエルサレムに留まり、キリストの墓を守り、弟子達と生活を伴にして、聖霊降誕(ペンテコステ)の時も多くの弟子達と伴にしていたことが聖書に記されている。ある時聖母マリアが墓を訪れて祈っているとみ使いが現れて、この世に別れを告げ永遠の命を得ることを告げられた。聖母の亡骸(ナキガラ)は手厚く墓に収められた。それから三日後、聖母マリアの身体は復活して魂と結ばれ、若々しく美しい姿になり昇天したことが、福音史家ヨハネの弟子メリトにより記されている。

聖母マリアの被昇天は、六世紀の終わりにラテン語で西欧に伝えられ、マリアの被昇天の祝日に典礼でしばしば読まれるようになった。カトリック教会では、十二世紀にマリアの被昇天の教義が正式に定められた。

                              聖母被昇天   福音史家ヨハネの弟子メリト

                            聖母マリア 弟子達と生活を伴にし
                            キリストの墓を 守りたり
                            ある安息日の夜
                            マリア墓を訪れ 一心に祈りたり
                            されば み使ひ舞い降り
                            斯くの如く 語りき
                            「まもなく 御身はこの世に別れを告げ
                            永遠の命を 得ん
                            御身の 祈りは
                            ことごとく 叶へらるべし」

                            マリア ユダヤ人の目を恐れ
                            エルサレムを 逃れて
                            故郷ベツレヘムに 帰りたり
                            最期の日の 近きことを悟り
                            香を焚(タ)き 別れの支度をす

                            エペソにいた弟子ヨハネ 駆けつけたり
                            聖母 ヨハネに最後の望みを打ち明けたり
                            聖母 起きあがり祈りたり
                            聖霊 聖母の願ひ聞き届け
                            聖母を愛する すべての人に知らせたり

                            各地で宣教す 弟子達に知らせたり
                            また殉教した 弟子達にも知らせたり
                            聖母 心を込めて
                            弟子達を 祝福せんとす

                            しばらくして 豪華な馬車
                            天より 舞い降りたり
                            馬車から 母アンナ出で来て
                            マリアに 別れを告げたり

                            その時 天が揺れ
                            天空が二つに別れ
                            トランペット 高らかに鳴り
                            賛美する 妙なる調べ響きたり
                            無数の天使達に 守られたる
                            明かりに 包まれた馬車
                            雲の間より 姿を現したり
                            聖母の傍らに 降り立ちたり
                            馬車から 十字架を手にした
                            王者の衣装を まとひたる
                            主イエズス 出で来たり
                            愛する 我が子をみた聖母
                            喜びに ふるへ
                            目に涙を 浮かべんや
                            イエズス 御母に曰く
                            「おゝ我が母よ 御身を楽園に
                            お連れ致したく参らん」

                            聖母 この世で苦しむ
                            多くの人の為に 祈りて
                            恵みを 与えんことを
                            イエズスに 懇願す
                            御母の 最後の願ひを
                            聞き届けることを
                            イエズス誓ひたり
                            聖母 顔に安堵の色を浮かべ
                            両手を胸に 置きて
                            魂を イエズスに委ね
                            静かに 目を閉じにけり
                            イエズス 御母の魂を胸に抱き
                            光輝く天の館に 昇りゆきたり

                            聖母 十六歳にて
                            聖霊によりて 身ごもり
                            三十三年 主イエズスと伴に生き
                            十字架の下(モト)  我が子の死をみつめ(スターバト・マーテル)
                            墓を 守りて
                            世を 去りし時
                            五十二歳なりき

                            弟子達 聖母の亡骸(ナキガラ)を
                            イエズスの愛した オリーブ山に
                            手厚く 葬りたり
                            み使ひ達 聖母の亡骸を
                            光で織った如き マントでくるみ
                            マントの端を 稲妻に似たもので縛り
                            その先を持って 天に昇りたり
                            聖母の 亡骸は
                            先に昇った 魂と結ばれ
                            聖母の身体は 復活し
                            美はしき乙女の姿に なりにけり
                            息を 引き取りし後
                            三日目の 出来事なり
                            この後 主イエズスを信じ
                            聖母を愛する 人々に
                            幾多の奇跡 起こりにけり



                                                                 トップページ