J.S.バッハ(J.S.Bach)

 バッハ(1685〜1750)は、典型的な音楽一家に生まれ、ドイツプロテスタント音楽の伝統を守り完成した音楽家である。ヘンデルとは異なり、バッハはドイツの国外へ出たことはなかった。ヴィヴァルディの音楽などは研究したことはあるが、結局イタリアやフランスの古典的なバロック様式の洗礼は受けることはなかった。しかし、ドイツ音楽の伝統を守り抜いたことは、バッハの音楽に深い精神性を与えることになる。当時の音楽といえばオペラか宗教音楽をさしていた。ヘンデルがオペラの作曲家であるならば、バッハは、生涯のほとんどを宗教音楽のために費やした。この点でも、ヘンデルとバッハとは対照的である。


バッハのオルガン曲(Bach's Organ music)

 バッハは、当時比類なきオルガンの名手で、生涯を通して教会のオルガン曲を多数作曲している。そして、バッハのオルガン曲は、現在までキリスト教の教会音楽として生き残っている。ヨーロッパに旅行すると、キリスト教が、現在もヨーロッパ人の生活に溶け込んでいることがよくわかる。私も、キリスト教の教会で、バッハのオルガン曲を何度か聞いたことがある。バッハはキリスト教の中で現在も生きている。

バッハのオルガン曲を分類すると、トッカータとフーガ、プレリュードとフーガ、幻想曲とフーガ、それにコラールなどがある。ここではトッカータとフーガとプレリュードとフーガについてその風景をてみよう。

バッハのオルガン曲のなかで最も宗教的で神秘的なのがトッカータとフーガ(Bach's Toccata and Fugue)である。私が、トッカータとフーガを知ったのは高校のころであった。ヴァルヒャの演奏のレコードであった。私は、この音楽の中に中世以来のキリスト教の神秘主義を感じ、キリスト教に傾倒していった。トッカータとフーガには、二短調、へ長調、ドリア風、ハ長調などがあるが、どれも、神秘主義的であって理想的な宗教音楽である。これらの音楽の風景は、中世的であり、あのゴシック建築の大聖堂を想わせる。そして、中世の教会の祭壇画や壁画をほうふつとさせる。例えば、14世紀のジオット、マルティーニ、チマブーエといった画家の宗教画こそ、トッカータとフーガのこの上ない視覚化である。そして、トッカータとフーガには、神秘主義だけではなく、宗教的な情熱さえ感じられる。私は、これらの音楽に最も似つかわしい絵画として中世末期の画家マルティーニの「受胎告知」(図3)をあげたい。

受胎告知      マルティーニ





祭壇画受胎告知            マルティーニ


上図は受胎告知の一部で、聖母マリアにキリストの受胎を告げる天使ガブリエルの部分である。黄金の後光が差しているのはいかにも宗教画らしいが、その表情の厳粛さと燃えるような表情は、神秘的なキリスト教の雰囲気をよく表している。バッハのトッカータとフーガは、このような、厳粛で神秘的な宗教性を宇宙的といえるような壮大なスケールで表している。それでは、ドーリア調トッカータとフーガ♪♪トッカータ・アダージョとフーガハ長調♪♪をお聞き下さい。


ところが、プレリュードとフーガ(Bach's Prelude and Fugue)になると世界観が違ってくる。ホ短調、ハ短調、ロ短調、ヘ短調などの曲を聞いていると、宗教性よりむしろ抒情性のほうが強まってくる。特にロ短調の曲は、深い悲しみを感じ、何とも抒情的なのである。この悲劇的な抒情性こそ、バッハの器楽曲に普遍的に見られる特徴である。このようなバッハの器楽曲の特徴は、古典的なバロック精神とは、遠く離れている。

バッハの悲劇的な抒情性はどこから来ているのか。ドイツプロテスタント音楽の伝統であろうか。私には分からないが、西洋音楽史の中でもこのように悲観的ともいえるような意識を持った音楽家は少ない。まるで、キリストの十字架の光景を見ているようである。西洋美術によく出てくるキリストの十字架ほどむごい絵はない。しかし、三日後には、栄光の復活があるではないか。キリストの十字架は敗北ではない。人類の罪を背負ったキリストの偉大な姿であり、栄光の復活への過程でもある。

プロテスタントの教義からであろうか。ルターは、自らが罪人であることに失望し、救世主キリストの贖罪により救われるという確信に至った。プロテスタントは、人間の理性の限界を説く。この非力な意識が神への救いに導くのである。バッハは、そのようなプロテスタントの人間観を説いているのであろうか。とにかく、バッハの音楽の抒情性は、不条理に悩む人間の姿を表している。

私は、プレリュードとフーガロ短調の北方的で天から降ってくるような悲しみを感じていると、ふと、ノルウェーの画家ムンクの「病める少女」(図4)を連想してしまう。それほど、バッハの音楽には現代性があると思う。

病める少女      ムンク


ムンクは、5歳で母を亡くし、13歳で、母のように慕っていた姉まで、同じ病気でなくしてしまう。そのときの少年の悲しみはいかばかりであっただろう。その悲しみを表現したのがこの「病める少女」である。まるでこの絵を見ていると、悲しみと絶望が天から降り注いでいるようである。バッハのプレリュードとフーガも、何か天から悲しみが降り注いでくるような印象を受ける。その点に共通性があると思う。バッハの音楽は時代を超えた響きをもっているのだろうか。それでは、プレリュードとフーガロ短調(全曲)♪♪を聞いてみよう。


幻想曲とフーガト短調♪♪

 幻想曲とフーガになるとより北方的になって来る。ドイツの北方ルネサンスにも様々な要素があるが、有名なものにグリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画がある。最も北方的なルネサンスの特徴を備えた祭壇画であり、多くの部分から出来ている。その中でも最も幻想的で美しいのが次の聖母子像である。イタリア・ルネサンスの聖母子とは異なり、優雅さよりも幻想性に特徴がある。バッハの幻想曲とフーガも、壮大な幻想曲と神秘的なフーガから成り、北方的なイーゼンハイム祭壇画と共通する部分が多いと思う。

イーゼンハイム祭壇画(部分)


幻想曲ト長調♪♪

三部から成っている。即興的なトッカータで始まり、中間部に荘重な幻想曲があり、再びトッカータで締めくくられる。全体的にイタリア的な明朗さが感じられる。視覚的には、イタリア・ルネサンス初期のキリスト教美術の雰囲気に合っていると思う。

玉座の聖母子(部分)  チマブーエ




バッハの声楽曲(Bach's Vocal Music)

 バッハのカンタータ(Bach's Cantata)は、教会の礼拝のためにつくられたもので、バッハの典型的な宗教音楽である。約200曲もあるカンタータの全貌を述べることはできないが、そのなかの傑作といわれるソプラノのアリアだけからなるカンタータ第51番「いずこの地にても神を歓呼せよ」♪♪(Bach's Cantata No.51)の風景について述べてみたい。                      

バラのあずまやの聖母    ロッホナー



バッハのカンタータに全般的にいえることは、アリアや合唱の素朴で敬虔な美しさで、この世界には、バロックの古典主義は見られない。バッハは、完全にルネサンス以来のドイツプロテスタント音楽の伝統に従っている。バッハのカンタータは、ドイツルネサンスの敬虔な宗教画の雰囲気を感じさせる。このソプラノの美しいカンタータは、ドイツルネサンスの清らかな聖母マリアを想わせる。ロッホナーの「バラのあずまやの聖母」はその典型的な例である。


                              聖母に捧ぐ

                            歌ひ喜び 賛美せよ
                            聖母マリアを 賛美せよ
                            海より深き 憐れみを
                            空より深き 御心を

                            聖ベルナルド 説き給ふ
                            聖母にすがり これまでに
                            救はれざる者 一人として
                            誰一人とて あらざりき

                            信仰の花 救ひの泉
                            心の港 臥(フ)し処
                            希望の星の 明星よ
                            明けゆく光 曙(アケボノ)よ

                            古へよりも 現れて
                            苦しむ者を いたはりて
                            涙流して 憐れみて
                            救ひ給へり 諸人を

                            踊り喜べ 賛美せよ
                            聖母にすがる 吾々は
                            無量の慈悲で 救はれぬ
                            天の御国に つながりぬ

                            身を低くして 慎みて
                            聖母の愛を 心とし
                            聖母に凡て お委せし
                            慈愛の心 旨とせん

                            赦されたりし ごとくにて
                            人をも赦し 愛すべし
                            救はれたりし 有り難き
                            喜びをもて 生きたりや

                            おゝ主の母よ 愚かなる
                            迷ひやすき 吾々を
                            天の御国へ 導きて
                            永遠(トワ)の幸ひ 与へませ



暁の星はいと美しきかな

 このカンタータは、BWV1で、第1番になっているが、作曲されたのは1724年で、バッハが聖トーマス教会の楽長に就任して2年後に当たり、この歳を前後して後期のカンタータが多数作曲されている。「暁の星はいと美しきかな」という美しいタイトルがつけられていることからも分かるように、聖母マリアの受胎告知の祭日に演奏されたカンタータである。曲想も柔和で牧歌的であり、バッハのカンタータの中でも傑作の内に入る作品であると思う。

バッハのカンタータはルター派の教会の行事のため作られた実用的な音楽で、何の華やかな衒いもない。ドイツ・プロテスタント音楽に受け継がれた伝統に忠実に従っており、素朴なあまりにも素朴な音楽である。しかし、その素朴さが宗教音楽としては、大きな意味をもっている。宗教的な体験とは、純粋で、無欲で、謙虚であり、虚栄とはほど遠い質素なものである。まさにバッハのカンタータは宗教的な体験そのものを語っている真の宗教音楽であると思う。オペラでは最も華やかなアリアは、バッハのカンタータでは、切々と歌う敬虔そのものの音楽に変身している。オーケストラも合唱も、当時のバロックスタイルから見ると余りにも地味である。その地味さの中に宗教性が秘められている。このようにバッハのカンタータは、真の宗教性を含んでいるが故に、長い歴史の風雪から守られ続けて来たわけである。ドイツ人(と言わず西洋人)の一つの心の拠り所にもなっていると思う。

バッハのカンタータは約200曲あるが、そのどれもが個性をもち渋い輝きをもっており、マンネリズムは最小限にとどめられていると思う。つまり駄作がなく、メロディーも常に美しく、味わえば味わうほど味が出てくる芸術作品でもある。日本にもバッハのカンタータの愛好者が多いのも、そのような音楽性に由来していると思う。その辺りにバッハの天才性が現れていると見るべきだと思う。

                           受胎告知       アンブロジオ・ロレンツェッティ

                  


カンタータ第1番「暁の星はいと美しきかな」♪♪は、牧歌的な美しい合唱で始まる。この美しさは、魂の善美を奏でたものであり、内面的であり、イタリア・ルネサンスの中世の面影を残した絵画が似つかわしい。シナエ派のこの絵画ほど、聖母の慎み深い挙措と敬虔さを表したものは少ない。まさに新約聖書の受胎告知の場面をそのまま見ているようである。

レスタティーボを通して、ソプラノのアリア(ボーソプラノ)になるが、派手さはなく、ひたすら清らかに切々と歌い、信仰の内面性を強調している。ここに受胎告知の聖母マリアは、神を讃美して次のようなマニフィカートを詠みまつる。

私の心は主を崇め
私の霊は救ひ主なる神を喜びまつる
そのはした女の卑しきをも顧み給へばなり
視よ、今より後よろず世の人、私を幸ひとせん
全能者は、私に大ひなる事を為し給へばなり
その御名は神聖なり
そのあはれみは代々かしこみ畏れる者に臨むなり
神はみ腕にて力をあらはし
心の高ぶる者を散らし
傲れる者を位より下ろし
いやしき者を高ふし
うへたる者に善きものを与へ
富める者を虚しくして去らせ給ふ・・・

やはりテノールの敬虔なアリアがあり、最後にコラール(賛美歌)風の合唱で締めくくられる。


カンタータ第71番「神は我が君主なり」

エジプトへの逃避途上の憩い       クラナッハ


カンタータ第71番「神は我が君主なり」♪♪は、第3曲と終曲の最後に順列フーガといわれる手法が使われ、全体に統一感があり、北方的な風景を彷彿させるなど、カンタータとしての完成度が高く、バッハの生前唯一印刷されたカンタータであった。

北方的な風景をもった抒情的なこのカンタータは、ドイツ・ルネサンスの画家クラナッハの「エジプトへの逃避」の世界とほぼ一致する。バッハのカンタータは、バロックスタイルではなく、ドイツ・ルネサンスの敬虔な宗教画と精神的な共通性があるのである。彼がルター以来のドイツ・プロテスタントの伝統を如何に守り通したが理解出来ると思う。と言うより大成させたと言った方がよいかも知れない。

ヘロデ王の幼児虐殺を避けて、聖家族はエジプトに逃避するが、この絵画では、アルプスの風景に戯れる天使が描かれ、牧歌的とも言えるような和やかな風景が主題になっている。この絵画のアルプスの冬の透明な空気と風景は、バッハのカンタータに見られる普遍的なイメージといってよいと思う。


カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」

                            聖三位一体        ムリリョ

                


カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」
♪♪ は、三位一体の祝日に歌われたもので、カンタータの中ではバッハの最も後期(1731)の作品である。この頃には、クリスマス・オラトリオとロ短調ミサを除いてほとんどの声楽曲は完成していた。

ムリリョの「聖三位一体」は晩年の大作であり、輝くような光に満ちている。父なる神と、聖霊(はと)と幼子イエスの三位一体が感動をもって描かれている。マリアやヨセフは庶民的で素朴な印象を与えている。スペインもカトリック信仰の厚い国であるが、ムリリョは素朴で写実的な背景を用いて、敬虔で感動的な宗教画を多く残した。19世紀のころはラファエロと並んで圧倒的な人気のあった画家であった。

バッハのカンタータも素朴な音楽の中に、深い宗教性を見いだすことが出来る。このカンタータでも、初めと終わりに合唱があり、間にコラールとアリアがあるが、どれも少人数で慎み深い雰囲気で演奏されるものばかりである。その質素な姿の中に真の宗教性が宿っている。


カンタータ第147番「心と口と行ひと命もて」

                   キリストの降誕  フィリップ・シャンパーニュ

                


カンタータ第147番「心と口と行ひと命もて」 ♪♪ は、最も知られたカンタータであろう。最後のコラール合唱が大変有名である。清らかでしかもロマンチックである。このカンタータは待誕節(聖母訪問の祝日)に歌われたもので、クリスマスに縁が深い。あの合唱はクリスマス・ソングにも歌われている。第1曲の合唱も明朗で、天使の合唱がキリスト誕生を祝福しているようである。第6曲があの有名なコラール合唱である。第7曲も牧歌的なテノールの独唱である。第8曲はアルトのレスタティーボで、羊飼いの賛歌のようである。第9曲は快活なバスのアリアで、やはり賛歌である。第10曲があのコラール合唱になりこのカンタータを締めくくっている。以上をお送りします。

この絵画は、17世紀のフランスの画家の描いたパリ・オラトリア教会の祭壇画である。マリアとヨセフは庶民的であり、素朴で敬虔な感情に満ちている。天使が天上で祝福しているのが微笑ましい。



クリスマス・カンタータ

カンタータ第63番「キリスト者よ、この日を銘記せよ」♪♪ は、クリスマス第一日に演奏される目的で作曲された。ヴァイマール時代、バッハ二十代後半の比較的初期に書かれたカンタータである。特に喜びが溢れている明るいカンタータである。一部省略してお送りします。構成は、合唱、レスタティーヴォ、レスタティーヴォ、アリア合唱になります。



ロ短調ミサ


 バッハの声楽曲の最高傑作がロ短調ミサ(Bach's Messe in h-moll)である。ロ短調ミサは、バッハの最晩年の作品で、バッハの宗教音楽の総決算といっていい。そして、たぶん、キリスト教音楽の最高傑作であると思う。宗教的情熱を感じさせる合唱、敬虔で慎ましいアリア、そして、天上に昇っていくような雰囲気、そのどれをとってもキリスト教の宗教性を完璧に表している。                              

無原罪の御宿り       ムリリョ



ロ短調ミサの中でも、最も感動的なのがグローリアの合唱である。清らかな宗教的情熱と天上に昇っていくような雰囲気は、バロックの画家ムリリョの「無原罪の御宿り」を連想させる。無原罪の御宿りとは、聖母マリアは、原罪を免れて生まれてきたという神秘的なカトリック教会の教義である。この絵は、フランスロマン主義者を熱狂させたことでも有名であるが、聖母マリアの清らかさと、天上を見上げるような情熱的な信仰は、グローリアの雰囲気に共通している。この絵はフランスの恋愛至上主義者に熱狂されたわけだが、聖母マリアは、清らかで母のような慈悲をもった女性として、彼らによって理想的な女性の象徴とされたのである。

グローリアの合唱-ソプラノ敬虔なアリア-バロック式天上画を想わせる合唱♪♪

までをお送りします。


小ミサト長調

  バッハはロ短調ミサ以外に、規模の小さなミサを四曲残している。どれもキリエとグローリアのみから成っているが演奏時間はどれも30分程度であり小曲とは言いかねる規模である。カンタータよりもずっとイタリア的な清澄さ持ち美しい作品が多い。特に小ミサト長調はグローリア♪♪の出だしが明るく、キリストの降誕の音楽を想わせる。またバッハにみられる敬虔さもあり、バロックスタイルというよりイタリアルネサンスの敬虔な宗教画を想わせる。フィリッピ・リッピの「聖幼児の礼拝」もイタリア的な優雅さと敬虔さによる傑作の一つである。

聖幼児の礼拝      フィリッピ・リッピ




クリスマス・オラトリオ

聖カテリーナ     ロッホナー



 「クリスマス・オラトリオ」は、「マタイ受難曲」と「ロ短調ミサ」と並んで、バッハの三大宗教曲の一つである。「クリスマス・オラトリオ」は、マタイ受難曲やロ短調ミサに比べると、キリストの降誕を祝う趣旨から、バッハの作品の中で最も明るい面をもっている。「クリスマス・オラトリオ」は全部で6部からなる長大なカンタータであり、それまでのカンタータの延長線上にあり、傑作のカンタータ集とも捉えることが出来る思う。

構成は
テノールの聖書の朗読にしたがって進められ、最初の前奏曲の後、テノールのレスタティーボ、アリアと合唱が置かれていく。アリアは敬虔に切々と歌い合唱はコラール(ドイツ・プロテスタントの賛美歌)であり、宗教的な感動を粛々と歌っていく。これはバッハの声楽曲に言えることだが、まさに礼拝の音楽なのである。

ここでは、クリスマス・オラトリオの第三部の降誕節第3祝日用のカンタータ♪♪をお送りします。ディスクは、コレギウム・アウレウムの管弦楽と、テルツ少年合奏団のみからなる演奏であり、古の演奏スタイルに従っている。アリアも聖歌隊のメンバーだけで歌われている。その意味では珍しいディスクである。


ロッホナーの「聖カテリーナと二人の聖人」は、ドイツ・ルネサンス初期の祭壇画(一部)で、神秘的な宗教性を感じさせる絵画であり、当時の人たちの敬虔な信仰心を見ることが出来る。バッハもアリアや合唱では、伝統的なドイツ・プロテスタント音楽によっている。ルター以来のドイツ・プロテスタントの礼拝音楽を受け継ぎ完成したのがバッハであると思う。

第二部の19番目のアルトのアリアは、この長大なクリスマス・オラトリオの中で、牧歌的で最も美しいアリアの一つである。ここではボーイソプラノのアルトで歌われている。天使のような少年の声が身に染みてきそうである。翼ある天使の国に来たようである。
19番目のアルトのアリアから第二部の終了♪♪までお聞き下さい。

美しき二月        ©KITANO JUNKO


                            ルカによる福音書より

                            この地に 野宿して
                            夜 群を守りたる
                            羊飼 ありしが
                            天使 その傍(カタワラ)らに立ち
                            神の栄光 その周りを照らしたれば
                            いたく 畏(オソ)れる
                            天使 曰わく
                            恐るるな
                            視よ 全国の民に及ぶべき
                            大ひなる喜びの 音信(オトズレ)を
                            我 汝らに告ぐ
                            今日 ダビデの町にて
                            救主 生まれ給へり
                            彼の人 キリスト(王転じて救主)なり
                            汝ら 布にて包まれ
                            飼葉桶に 臥したる
                            嬰児(ミドリゴ)を みん
                            たちまち あまたの天の軍勢
                            天使に 加わり
                            神を讃美して 言ふ
                            いと高き処には 栄光
                            神にあれ
                            地には 平和
                            主を  喜び給ふ人にあれ
                            天使達 去りて
                            天に ゆきし時
                            羊飼 互ひに語る
                            いざ ベツレヘムに至り
                            天の 示し給ひしことをみん


テルツ少年合唱団



バッハの器楽曲(Bach's Instrumental Music)

 バッハは、生涯にかなりの器楽曲を残している。そのどれもが音楽的に優れたものばかりで、現在でも演奏されるものも少なくない。しかし、器楽曲に普遍的に感じられる雰囲気は、悲劇的な抒情性である。バッハの器楽曲の中には、イタリア的な明るさや古典性はない。アルプスの北の芸術家というイメージが、バッハほどぴったりくる作曲家も少なくない。バッハの器楽曲を聞いていると、季節はいつも秋か冬といった感じである。しかし、その抒情性の美しさによる魔力のようなものを感じる。これから、いくつかの代表的な器楽曲を見ていこう。

まず、バッハの器楽曲の中で、最も有名でポピュラーな曲は、管弦楽組曲(Bach's Ouverture)だろう。特に第2番と第3番が有名である。組曲とはもともと、フランスの古典的な舞曲である。しかし、バッハの手にかかると、抒情的なロマンチックな音楽になってしまう。長大な序曲により始まるが、このあたりは、フランスの舞曲の形式をふんでいる。しかし、ヘンデルの序曲のような古典性はほとんど感じられない。むしろ、憂愁にも似た悲しみが伝わってくる。個々の舞曲はメロディーが美しく口ずさみたくなるほどである。メロディーの美しさも、バッハの音楽の特徴である。ヴィヴァルディと同じように、この曲を聞いていると、何か悲劇的なドラマでも連想したくなりそうである。


管弦楽組曲第二番のロンドから終曲♪♪


                          瞳を閉じて

                        木々の青葉の 目にしみて
                        真夏の日々の 蜃気楼
                        夢かうつつか いづこより
                        時さへ溶けて 消へ去りぬ

                        谷間に咲きし 水仙か(君は)
                        林檎の如く はじらいて
                        乙女のころに あらねども
                        木(コ)の実はすでに 熟したり 

                        優しき人を 求めんや
                        ひとりの夏の 長き夜を
                        涙流さん 夜枕に
                        されども誰も 君(を)知らじ

                        身も心さへ 渇ききり(私は)
                        初恋の人を 想はんや
                        視よ天使のごと 少女なり
                        こなたに在りて 佇みぬ

                        湖に(砂の)舞ふ まなこかな
                        瞳みつめて 接吻す
                        肌の優しさ 綿のごと
                        初めて抱(イダ)き 愛撫せん

                        瞳を閉じて 夢見んや
                        甘きとろける キスの味
                        翼生えたる 愛撫なり
                        身体(カラダ)の歓喜 極まれり

                        深き病に かかりきや(私は)
                        斯くの如しか 空蝉(ウツセミ儚き身)よ
                        少なき命 想ふれば
                        朝露のごと 儚きや

                        少女の身をば 案じてぞ
                        禁断の恋 捨てんとす
                        少女の先を 思ひてぞ
                        秘かに身をば 隠したり

                        山深くして 泉湧く
                        水清くして 隠者(インジャ)の地
                        一日千秋 耐へかねて
                        絶へねば絶へね 魂(タマ)の緒(オ)よ(命の灯火よ)

                        君の情愛 深くして
                        千里の道を 遠からじ
                        来たりて姿 みつめれど
                        常世(トコヨ)の国へ 去り往かん
                        涙くれても 帰り来じ
                         如何に生きんぞ ひとりにて

                        

ジョージィ   ©いがらし ゆみこ



管弦楽組曲第三番序曲♪♪


                           愛の秘密

                         出逢ひなくして 夏過ぎぬ(自分が)
                         けだるき日々の 虚しさよ
                         体育祭の 練習も
                         気の重くして 憂鬱なり

                         隅に佇む おとなしき
                         はにかみがちな 乙女子(オトメゴ)よ
                         明日の予感に 戸惑ひて
                         想ひを馳せん 限りなく

                         誰も知らじや 乙女子を
                         菫のごとく 可憐なり
                         ニンフのごとく ふくよかに
                         薄月(ウスヅキ)のごと 慎ましき

                         心の渇き 覚ゆれば(自分が)
                         心の兄を 欲さんや
                         伴に微笑み みつめ合う
                         優しき人を 求めんや

                         大学院に 残れども(彼が)
                         心の虚しさ 癒やされず
                         講師の職を 頼まれて
                         女子高教師 なりたりや

                         一目見しとき ひかれんや(彼が)
                         天使のごとき 丸き頬
                         なにげにみえる 深き(谷間の)胸
                         短き裳裾(モスソスカート)  なまなまし

                         たちまち炎 燃え上がり
                         瞳閉じたり 夢のキス
                         翼生えたる 愛撫にて
                         裸体の天使に なりにけり

                         押さえることの あたはざる
                         禁断の恋 如何せん
                         愛の秘密の つづきつも
                         遂に人には 知られけり

                         職を辞してぞ 去りにける(彼が)
                         姿隠して 海外に
                         忘るるために 切なくも
                         想ひ残して ゆかんとす

                         最後の知らせ 知りければ(自分が)
                         空港目ざし 追ひかけん
                         されどもすでに 飛行機は
                         上空目ざし 飛び立ちぬ
                         吾ひとり置き 何故ゆかん
                         如何に生きんや 君なくば


ジョージィとアーサー  ©いがらし ゆみこ


ブランデンブルク協奏曲第一番

 ブランデンブルク協奏曲は、合奏協奏曲のカテゴリーに入るが、コレルリやヘンデルの緩急緩急からなる古代ローマの建築を思わせるような典雅な曲想とは違い、何処か愁いを帯びた、アルプスから北のドイツ的な雰囲気が漂っている。ここには、バロックの古典主義はみられない。その代わり、何か悲劇的なドラマを想わせるような詩的な雰囲気が漂っている。その中でも第一番は、一番優雅な色彩を感じさせる。第三楽章と第四楽章が三拍子の舞曲であることが、そのようなイメージを醸している。第一楽章もブランデンブルク協奏曲の中では明るく優雅な雰囲気を持っている。全体的に、フランス風の組曲に近い曲調である。

第一楽章ヘ長調♪♪
明るく優雅な雰囲気のある楽章である。それでも何か愁いがあるのは気のせいだろうか。

第二楽章ニ短調♪♪
愁いのある楽章で、バッハの器楽曲にありがちな曲調である。第三楽章の序章のような響きがある。

第三楽章ヘ長調♪♪
三拍子の舞曲である。優雅な雰囲気を醸している。メロディーの美しさと愁いを帯びているのがバッハの曲らしい。

第四楽章ヘ長調メヌエット♪♪
バッハの作品でも白眉の楽章である。優雅なメヌエットの楽の音が切々と伝わってくる。間奏曲が幾つかある。


                          メヌエット

                       心にひびく メヌエット
                       想ひ遙かに 馳せれども
                       二人の定め 添ひ遂げぬ
                       哀しき調べ 切々と

                       夜の花壇を 彷徨へり
                       夢の貴女に 出逢ひたり
                       月と花壇の 明かり浴び
                       美はしき方 ましませり

                       二人迷はず 抱きしめん
                       心一つに なりぬれば
                       姿は天の み使ひの
                       清き光に 照らされぬ



ブランデンブルク協奏曲(Bach's Brandenburg Concerto)の第四曲以降になると、さらに淋しい雰囲気になる。季節は冬で、枯れ木が風に揺れているような風景である。それでも、メロディーは美しく何かを訴えているようだ。唯一明るいのは、第五番の第一楽章♪♪だろうか。非常に詩的な出だしである。五月のそよ風を想わせるような感じである。しかし、どことなく悲しいのは気のせいであろうか。詩的でリリックな悲しさである。青春の悲しみという言葉が似合うかもしれない。失恋の悲しさだろうか。


                       「一葉舟」より    島崎藤村

                   たれに語らん 吾が心
                   たれにか告げん 吾が想ひ

                   若き命の あさぼらけ
                   心の春の たのしさよ

                   などいたましき 悲しみの
                   夢とは変はり 果てつらん

                   恋は匂へる 紫の
                   咲きて散りぬる 花なるを

                   ああ甲斐なしや その花の
                   ゆかしかるべき 香をかげば

                   吾がくれなひの 顔(カンバセ)に
                   とどめもあへぬ 涙かな

                   草ふみ分くる 子羊よ
                   なれも野末に 迷ふ身か

                   彷徨ひやすき 旅人よ
                   なあやまりそ 行く道を


フルートソナタ変ホ長調BWV1031♪♪(Bach's Flute Sonata)を聞いてみよう。何という瑞々しい響きだろう。メロディーもよく歌っている。しかし、そこはかとした悲しみは何を意味しているのだろう。詩人だったら、きっとこの悲しみを表現できるだろう。バッハの抒情性は、あらゆる曲にあまねく行き渡っている。子供の練習曲で弾かれる2声のインベンションにも感じられる。あれは、単なる練習曲ではない、深い感情が込められている。


                    紅葉

                  君何故 ゆき給ひしや
                  吾ひとり 置きて
          
                  紅葉(モミジ) 散り
                  枯れ木の 残さるるごとく
                  夏 過ぎて
                  虫の音の 儚く聞こゆるごとく
                  遠き 湖に
                  夕日の 落ちるごとく

                  優しき 言葉
                  優しき 瞳
                  どこ かしこ

                  はらはらと 散りたる落葉路(オチバジ)を
                  ひとり 歩みにけり
                  遠き面影を 抱きつつ

                  君何故 ゆき給ひしや
                  吾ひとり 置きて

                  落葉路に 消へゆかまし
                  このままに



ヴァイオリンソナタ(Bach's Violin Sonata)を聞いてみよう。ヴァイオリンの音色が悲痛である。人間の苦悩の表現だろうか。しかし、メロディーが美しいのが救いである。もっとゆっくり歌うように奏けばいいのにとおもう。ヴァイオリンで悲劇的な詩を読むように。だが、余りに強く奏いたら、悲しみが深すぎて絶望的になってしまうのではないか。優しく柔らかく奏けば、ロマンチックに聞こえるだろう…… 




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