フランソワ・クープラン(Francois Couperin)

 17.8世紀のフランスでは、ルイ王朝の絶対王政の宮廷文化が栄える。ルイ王朝では、ルネサンス以来の人文主義的な古典主義が信奉され、全ての芸術は、古代ギリシア・ローマの神話的な精神を模倣した。古典主義的な美学では、唯一絶対の美の範型があり、全ての芸術は、その理想の美に憧れるものとされた。このような美学は、国王を頂点にした絶対王政には適正な精神とされたのである。

フランスのバロック音楽では、リュリ、フランソワ・クープラン、ラモーといった、音楽歴史上有名な作曲家が出ているにもかかわらず、現在、コンサートで演奏される曲目もあまりなく、レコーディングされている作品も少ない。リュリに至っては、皆無といっていいのではなかろうか。音源がないために、太陽王ルイ14世に庇護されたリュリの音楽の特徴をつかむこともこともできない。ただ、分かることは、フランスのルイ王朝は、ルネサンス以来の静的な古典主義を信奉する余り、イタリアの動的なバロックスタイルを直接受け入れようとしなかったことである。したがって、フランスのバロック音楽は、イタリアやドイツのバロック音楽に比べて、動きや躍動感に乏しく、現代楽器で、通り一遍に演奏したのでは、その真の魅力を測り知ることができない。

最近のオリジナル楽器を使ったバロック音楽の演奏で、しだいに、フランスのバロック音楽の真価が明らかになって来たのは好ましいことであると思う。フランソワ・クープラン(1668〜1733)の器楽曲も、オリジナル楽器を使った巧みな演奏で、その真価が明るみにされたといっていいと思う。クープランの弦楽合奏曲には、有名なものに、「コレルリ讃」、「リュリ讃」、「諸国の人々」がある。クープランは、18世紀に入り、フランス音楽とイタリアの古典的な音楽の調和に努める。「コレルリ」讃では、コレルリこそは、クープランにとって、音楽の神アポロンに等しき人物として崇められている。


「コレルリ讃」(Praises of Corelli, Parnasse)

 この作品は、7つの曲からなり、それぞれに次のような標題がつけられている。この標題を見ると、フランスのバロック音楽が、いかにギリシア・ローマの神話世界へ傾倒したかと、イタリアの古典主義音楽を確立したコレルリに対する尊敬の念がうかがえる。

第1曲 「コレルリ、パルナッソスのふもとにて、アポロンに招かれんことをミューズに頼めり」
第2曲 「コレルリ、望みを快くも受け入れられしことへの歓喜」
第3曲 「コレルリ、ヒポクレネの泉を飲まん」
第4曲 「ヒポクレネの水によりて起こるコレルリの感興」
第5曲 「感興ののち、コレルリ眠り落ちたり」
第6曲 「ミューズ、コレルリを起こし、アポロンのもとに連れゆかん」
第7曲 「コレルリの感謝の情」  

「諸国の人々」(Couperin's Les Nations) ムシカ・アンティーク・ケルン アルヒーフ 1984

 この管弦楽組曲集は、古典主義的な調和と均衡に則っており、また、明らかにコレルリの合奏協奏曲の影響が見られる。古典主義的なバロック合奏曲としては、コレルリの合奏協奏曲、ヘンデルの合奏協奏曲にひけをとらない傑作である。通奏低音、弦楽合奏にフルートを含めたことで、曲想が明るくなり、メロディカルになり曲の美しさを増している。何よりも、古楽器のムシカ・アンティーク・ケルンのオリジナルに忠実な演奏が、この組曲の真価を輝かせている。

この曲集は、一部「フランスの人々」、二部「スペインの人々」、三部「神聖ローマ帝国の人々」、四部「ピエモントの人々(イタリア北部)」の四部からなる大曲である。コレルリやヘンデルの合奏協奏曲のような、バロック絵画を見るような、躍動感はないが、誇張のない穏やかな品性を感じさせる真の宮廷音楽である。また、「コレルリ讃」に見られるようなルネサンス以来の静的な神話的な光景を彷彿とさせる。ルネサンスの古典主義的絵画の傑作といわれる、ラファエロの「パルナッソス」などはそのよい例であると思う。

パルナッソス         ラファエロ


フランソワ・クープランは、クラヴサン(チェンバロ)の大家で「クラヴサン奏法」の著者としても知られている。後にドビュッシーは、クープランをクラヴサンの詩人として賛辞を送っている。

クープランの音楽は、単に古典的な宮廷音楽だけではなく、ほのかな詩情を漂わせていて、フランスの宮廷詩人の面影をもっている。「諸国の人々」の第一部の
「フランスの人々」の「ソナタ」-「アルマンド」-「クーラント」-「サラバンド」-「ジグー」♪♪などを聞くと、フルートの柔らかいメロディーに、恋心を想わせるようなほのかな詩情を感じることができる。このような詩情こそ、クープランの魅力なのだ。

                                追憶     フラゴナール

                       

フラゴナールは、ルイ王朝に仕えたロココスタイルの最後の宮廷画家であるが、19世紀のロマン派を予感するような、詩的表現が随所に見られる。特に「追憶」は、乙女が木に文字を刻んでいる姿と、霧に包まれたような朧気な表現で、乙女の恋心を詩的に表している。クープランの柔和でほのかな詩情を連想させる絵画だと思う。

                          熱き文字

                       行くへは知らぬ 春霞
                       千々に乱れる 花の園
                       白馬に乗りて あの方は
                       薔薇の館に ましませり

                       幼きころより 夢に見た
                       兄のごとくに 優しくも
                       手をとり給ひ 握りしめ
                       愛込め給ひ 抱きしめん

                       み使ひのごと 清らかに
                       水仙のごと つつましく
                       林檎のごとく はじらひて
                       月のごとくに 奥ゆかし

                       独りきりにて 胸に秘め
                       心余りて 文字をもち
                       炎のごとく 熱き身で
                       友の木立に 書きとめん



ジャン・ジャック・ルソーの「新エロイーズ」(Rousseau's Nouvelle Heloise)

 ルソーといえば、「社会契約論」の著者として広く知られているが、彼は、音楽や文学にも関心があり、「村の占い師」という牧歌的なオペラを作曲し、イタリアの古典派音楽に対する関心を早くから、パリに紹介していた。「村の占い師」が評判になっているのを知ったマリー・アントワネットは、ルソーをヴェルサイユに招こうとしたが、絶対王政に批判的であったルソーはそれを断ってしまう。マリー・アントワネットも実は、羊飼いの少女に扮して遊ぶのが好きだったのである。ヴェルサイユ宮殿の離宮の片隅に、マリー・アントワネットの田舎屋という質素な名所があるが、そこが、マリー・アントワネットの自由な遊び場所であったのだ。

ルソーを当時一躍有名にしたのは、「新エロイーズ」という書簡体文学であった。6巻からなる長編小説であるが、ジュリという貴族の女性と、彼女の家庭教師であるサン=プルーとの恋愛を書簡の交換で綴った小説は、18世紀の半ばで一世を風靡した唯一の文学作品であった。19世紀のロマン派文学とは違い、教育書「エミール」筆者らしく、自然な感情と理性の調和が図られた、啓蒙主義的な小説であった。しかし、その優雅なフランス語とロココスタイルの絵画を想わせるような純真無垢な二人の書簡は、当時の人々の絶賛の的であった。

フラゴナールの「追憶」も、そのころの作品であり、純情可憐な乙女の恋心が柔和に描かれている。クープランの音楽の、ほのかな詩情も、オペラの劇的な台本よりも、ルソーの書簡体の品位ある文学によりふさわしい。


             
 「新エロイーズ」 第1部 書簡5 サン=プルーよりジュリへ

           ・・・清らかなこの世のものならぬ美よ、貴女のご権威の性質をもっとよくご判断
           なさって下さい。
           御身(オンミ)に魅力を感じるのは、あの汚れなき魂の
           極印のためではないでしょうか。
           お顔つきはすべて、そのような魂の神々しい印をもっておいでなのです。
           男の追求に服することを懸念なさっているのでしょうか。           
           いったい、人の胸に、清らかさと高貴さを与える女性が
           恐れるような追求があるでしょうか。
           あえて大胆不敵になるような卑しい者がこの世にあるでしょうか。
           お許し下さい。愛されるという思いがけない幸福を頂くことを・・・。
           愛して下さるその人は・・・、世界の王座よ、お前さえもいかに低く見えることか!
           百たび、千たび読み返して、あの尊い手紙を読ませて頂いていると
           そこには、貴女の愛と想いが、火の文字をもって書かれているのです。
           極めて烈しい情熱も、騒ぎ立つ想いが如何にあろうとも、私の魂の中においては
           なお徳の神聖な特徴を保っているかが分かり、信じることが出来ないほどです・・・。



クラヴサン曲

 スランソワ・クープランは、クラヴサン(チェンバロ)の大家でもあった。クープラン家は、父の代からフランス宮廷に仕えており、フランソワ・クープランは、フランス王家の子女の音楽教師でもあった。クープランは、18世紀に入り四つのクラヴサン曲集を出している。時代は18世紀の前半であり、音楽史的には後期バロックの時代であり、器楽曲と同じくフランス的な古典主義を濃厚に反映している。これは、ほぼ同時代に活躍したラモーのクラヴサン曲と比較するとよく分かる。

ラモーのクラヴサンは、ドラマチックで起伏が激しいが、クープランの作品では、激しさは抑制されていて調和と均衡が図られ、押しつけがましさのない品位を保っている。しかも、仄かな詩情が込められており、真のフランス音楽とも言うべきである。後にドビュッシーがクープランを「クラヴサンの詩人」賞賛したのも理にかなっている。すでに早くからクープランのクラヴサン曲は民間に流布しており、「クラヴサン奏法」を書いて正しい奏法を指導せざるを得なかったくらいであった。

クラヴサン曲に題名をつけるのは、この時代にフランスに流行った「ポルトレ」(肖像)によっている。モデルが存在しクープランが奏くと、あたかもその人の様であったという。そのような意味でも絵画的であり、いかにもフランス風である。

これからお送りするクラヴサンは、1765年のフランス王室御用達のブランシェ二世の製作によるものである。高音はよくあるチェンバロのように甲高くないが、中低音域が厚くて雅やかで、豊かに響き神経質な印象を全く与えない。何度聞いても味わいのある自然な音色である。演奏は中野振一郎氏によるものであるが、18世紀のフランス音楽を知り抜いた優れた演奏である。


「葦」「あでやかなる夫人」♪♪
「葦」の意味はよく分からないが、儚いという意味だろうか、短調の愁いを感じさせる曲である。「あでやかなる夫人」では可憐で優美な女性の様子を表してる。

小鳥を嘆く少女  グルーズ


                               孤独

                          窓眺むれど 面影なく
                          花咲けれども 言葉なく
                          星まばたけど 手に取れじ

                          詩を詠むごとく クラヴィア奏き
                          ロマンの夢に 酔へれども
                          誰も知らじや 君の曲

                          恋に恋する 年ごろよ
                          花紅の かんばせは
                          花木もはじる 愛らしさ

                          林檎のごと はじらひて
                          み使いのごと ふくよかに
                          水仙のごと 清らなり

                          舞曲の調べ 遠くより
                          窓辺によりて 聞こゆれば
                          切なき想ひ 限りなし

                          瞳を閉じて キス想ひ
                          胸をはだけて 恋想ひ
                          鏡をみつめて 春想ふ

                          吾が愛しき ほととぎす
                          あゝなにゆゑに 死に給ふ
                          如何にぞ生きん この先を

                          神秘の鳥よ 天にゆき
                          青き鳥にぞ 姿変へ
                          導き給へ 幸ひに



「恋のうぐいす」「おびえる紅ひわ」♪♪
「恋のうぐいす」とは、「夜鳴きうぐいす」であり、ロマンチックな表題がついている。クープランのクラヴサンの中では最も有名な曲である。

ブーシェの娘   ブーシェ


                            暗香(アンコウ暗がりの香) 「若菜集」より  島崎藤村

                            春の夜は ひかりばかりと 思ひしを 白きや梅の 盛りなるらん

                            姉
                            若き命の 惜しければ
                            闇にも春の 香に酔はん
                            せめて今宵は 佐保姫(春の女神)よ
                            花咲くかげに 歌へかし

                            妹
                            空燃ゑ経(へ)りや 春の夜は
                            星も隠れて 見えわかず
                            夜目(ヨメ)にもそれと ほの白く
                            乱れて匂ふ 梅の花

                            姉
                            春のひかりの 恋しさに
                            かたちを隠す 鶯(ウグイス)よ
                            花さへしるき(著しく目立つ) 春の夜の
                            闇をおそるる ことなかれ

                            妹
                            梅をめぐりて ゆく水の
                            闇を流るる せせらぎや
                            夢も誘はぬ 香なりせば
                            何れか夜に 匂はまし


                            姉
                            こぞの今宵(コヨイ)は 吾が友の
                            うす紅梅の 染め衣
                            火影(ホカゲ)に映る (婚礼の)杯を
                            恋の見ゑへる 夜なりけり

                            妹
                            こぞの今宵は 吾が友の
                            涙をうつす 夜のなごり
                            影も悲しや 木下(キネ)川に
                            愁ひ沈みし 夜なりけり

                            姉
                            こぞの今宵は 吾が友の
                            想ひは春の 夜の夢や
                            世を憂きものに 出で給ふ(嫁に出る)
                            人目をつつむ(はばかる) 夜なりける

                            妹
                            こぞの今宵は 吾が友の
                            袖の霞の 花むしろ
                            弾くや琴の音 高潮(高い音色)を
                            うつし合はせし 夜なりけり

                            姉
                            吾が右の手に 比ぶれば
                            優しきなれ(あなた)が 掌(タナゴコロ)
                            触るればいとど 柔らかに
                            もゆるか熱く 思ほゆる

                            妹
                            もゆるや如何に 今宵はと
                            問ふ給ふこそ 嬉しけれ
                            知り給はずや 梅が香に
                            吾が(花嫁として)生まれてし 春の夜を


「シテール島の鐘」「神秘のガード」♪♪
シテール島とは、恋人たちだけが住めるという伝説的な島である。繰り返される冒頭のパッセージが鐘の音を表している。特に画家ワトーの「シテール島への船出」が有名である。「神秘のガード」とは、侵しがたい女性の気品のことを意味している。

シテール島への船出         ワトー



                             シテール島

                          恋人たちの 住むといふ
                          幸ひなる アイランド
                          天の船にて 運ばれん

                          手に手をとりて 戯れん
                          笑ひさざめる 声ありて
                          木蔭の下に 隠れんや

                          二人の姿 ありけれど
                          心は一(イツ)に なりぬれば
                          顔寄せ合ひて 抱(イダ)きたり

                          霞かかりて 朧(オボロ)なり
                          鐘がなるなり 涼しげに
                          心奏でる 花の園

                          薄き衣を 身につけて
                          美はしきこと 天使のごと
                          雲をしとねと したりけり

                          アモール常に 寄り添いて
                          愛の歓び 限りなく
                          永遠(トワ)につづかん 宴(ウタゲ)の日

                          美はしきこと 限りなく
                          清らなること 限りなく
                          甘美なること 限りなし

                          花壇に立てる アモールよ
                          汝の矢をば 放てかし
                          赤き糸にて 結べかし
                          天の船にて 運べかし

「芸術家」「高雅」♪♪
「芸術家」は明朗典雅な歌の様でありであり、「高雅」は、如何にもフランス風の抑制のきいた雅やかな曲である。

芸術の女神「彫刻」     フラゴナール





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