フリードリッヒ大王とベルリン楽派

 ベルリンでも、マンハイムと並んで古典派様式の音楽が発達していた。ベルリンでは、プロイセン国王フリードリッヒ大王(1712〜1786)の熱心な愛好により、イタリア・フランスの音楽が好まれ、多くの優秀な音楽家が集まり、古典派音楽の発達に寄与していた。大王がフルートを好んだため、クヴァンツ(1697〜1773)などのフルート奏者が好まれ、多数のフルート曲が作曲された。

よく18世紀はロゴス(理性)の時代といわれ、19世紀はパトス(情熱)の世紀といわれている。フリードリッヒ大王は典型的な18世紀型の人物で、フランスの啓蒙思想家ヴォルテールを招いたことでも知られている。王はヴォルテール民主政治の理論に共感して、「国王は国民の第一の下僕なり」という有名な言葉を残している。

啓蒙思想は、理性(善性)を人間をの本質としてとらえ、理性で迷妄を打破して、人間と世界に光をもたろそうとするものある。神も理性的に捉えられ人類普遍の存在と考えられるようになった。常に理性と感情の調和を唱え、喜怒哀楽を超越した世界が求められた。19世紀ロマン派が、情熱を人間の根本として尊んだ発想とは対照的でもあった。ルソーも感情の自然さを説いたが、あくまでも、自然な感情と理性の調和が前提になっていたという点では18世紀人である。

フリードリッヒ大王は、クヴァンツの指導のもとに4つのフルート協奏曲と4つのシンフォニアなどの作品を残している。晩年のJ.S.バッハが、フリードリッヒ大王の御前でチェンバロを演奏したことは話は有名だが、J.S.バッハが大王の作曲した楽譜をみて驚いたという。特にフルート協奏曲は、現代人が聞いても、充分鑑賞に堪えうるもので、ベルリン楽派の特徴を感じることが出来る。18世紀半ばのロココスタイルに近いが、どちらか云えばエメヌエル・バッハの趣に近く、古典派のナチュラルな様式に則っているが、抒情性が喜怒哀楽を超えた格調を示している。ベルリン楽派の最大の天才は、J.S.バッハの次男のC.P.エマヌエル・バッハである。

フリードリッヒ大王     サン・スーシ宮殿


正面でフルートを吹いているのがフリードリッヒ大王、左後方に立っている人物がヴォルテール、クラヴサン(チェンバロ)を奏きながらフリードリッヒ大王の方を見ているのがC.P.E.バッハである。C.P.E.バッハの右にヴァイオリンを持っているのがベンダ兄弟である。

フリードリッヒ大王の作と言われているフルート協奏曲第一番ト長調♪♪を聞いて頂こう。ほのかな抒情性と感情を超えた格調がそれとなく感じられる。啓蒙専制君主と云われた、フリードリッヒ大王の趣味を物語っている。王の音楽への傾倒はベルリン楽派と一派を作るほど音楽史に足跡を残した。代表的な音楽家は、クヴァンツやベンダ、C.P.E.バッハなどであり、共通した雰囲気がある。風のざわめきのような息吹と、浄化されて行く感情であり、決して浪漫主義的ではないと思う。C.P.E.バッハの音楽などは、フランスのワトーなどを彷彿とさせ、風のざわめきのような息吹は、フランスロココスタイルのワトーの蔭りのある洗練された情景に接近している。


G.ベンダ(1722〜1795)

ベンダもフリードリッヒ大王に仕えた音楽家である。後に各地を巡り、ドイツ語でギリシア・ローマ風の神話を題材にしたオペラも残している。モーツアルトのジンガー・シュピーゲル(ドイツ語のオペラ)に影響を与えたとも言われている。この
フルートソナタト長調♪♪は、頬に爽やかな風を受けるような、イタリア古典派に近いロココスタイルの明朗優雅な作品であり、前古典派の傑作の一つであると思う。

風のソナタ   ©原ちえこ


                              風のソナタ

                            アリス ロンドンの資産家の長女なり
                            ピアニストに ならんと願ひたりけり
                            されども 父過労死でなくなり
                            母も心臓患ひて 病弱なり
                            一家は 事業を売り払ひ
                            ロンドン郊外の街に 移りたりき

                            アリス 街で画家志望の
                            ローリーと 出逢ひたり
                            ローリーの 勧めにて
                            街の 音楽の教師となり
                            ローリーと アリスの間に
                            次第に愛 芽生えたりけり

                            アリスの 妹プリシー
                            街の 人気ギャルなり
                            プリシーも また深く
                            ローリーを 愛したりけり

                            街で コンサートあり
                            ロンドンより 新人ピアニスト
                            ギルバート 来たりけり
                            アリス ギルバートの作品を奏きたり
                            視よ ギルバート
                            深く 感動して
                            涙して 聞きたりけり

                            ローリー ロンドンに
                            理解者 得て 
                            ロンドンに 出(イデ)て 
                            絵画の道で 生きんとす
                            ローリー アリス誘ひしが
                            病弱な母 心臓発作起こし
                            ロンドン行きを 断念す
                            プリシー 姉を非難して
                            取るものも 取りあへず
                            駅まで 走りつづけ
                            ローリーの 汽車に 
                            伴に 乗りたりけり
                            その後 愛する母は 
                            逝きにけり
                            アリス虚しひ日々に 茫然とす

                            ロンドンの ギルバートから
                            手紙 届き
                            ロンドンに 来て
                            ピアニストに なることを
                            勧められんや

                            ギルバートの支援者 バクスター氏 
                            アリスの演奏 聞き
                            即座に 支援を承諾す
                            ロンドンの 新人コンサートに
                            出演することも 決まりたりけり

                            ギルバートには 恩人バクスター氏の 
                            娘との縁談が ありたれども
                            バクスター氏に 断りて
                            アリスに 愛を告白す
                            街で アリスの奏く姿
                            一目みし時より 恋したりけり

                            初めてみたる あの時に
                            ピアノの天使と 想ひけり
                            眉から肩へ 流れたる
                            透けるが如き 金髪よ

                            ピアノと心 一つにて
                            紡ぎたる音 宙に舞ひ
                            妙なる音色に 包まれて
                            清く優しき 楽の音よ

                            孤児で過ごしし 淋しさと
                            乗り越えんとす 情熱と
                            愛する心 込めたりき
                            己(オノ)が心の 作品よ

                            一音一音 心込め(アリスが)
                            心奏でる 楽の音よ
                            辛き心は さりげなく
                            愛の情熱 力込め

                            起伏に富みた 楽想よ
                            凡てを語る 楽の音よ
                            感極まりて 涙して(ギルバートが)
                            目頭(メガシラ)熱く 聞きにけり

                            天使の如き 乙女子よ
                            己が心を 聞き給へ
                            汝と吾は 心にて
                            一つなりけり 永遠(トコシエ)に


F.ベンダ
(1709-1786)

フルート協奏曲へ短調♪♪

 ベルリン楽派の短調の曲で、エマヌエル・バッハの面影が強い。短調であっても、ヴィヴァルディやバッハのように深刻にならない。むしろ感情を超えた高尚な情緒を表現している。決して短調になっても悲しくメランコニックにならない。しかし、微かに悲劇的か緊迫感を表現している。第二楽章が長調になるが第一楽章の延長線上にある雅びな曲である。第三楽章になると短調になり高潔なドラマを連想させている。

アドニスの死                  ウォーターハウス


ヴィーナスは愛するアドニスに狩りに森に行くのを止めるが、アドニスは言うことを聞かず、ついに森の獣により倒されてしまう。血を流して倒れているアドニスを見つけて介抱するが、それも無駄であった。アドニスの血の跡から咲いた花がアネモネであったという。


                              ヴィーナスの恋

                            言い寄りたりし あまたあり(ヴィーナスに)
                            受け身の愛に ありたりや
                            自ら恋す 初めての
                            憧れたりし アドニスよ

                            少年のごと 甘き顔
                            純真なりや まなざしの
                            何故か愁ひを 秘めたりや
                            年甲斐なくも 惚れたりや(ヴィーナスが)

                            母なく育つ アドニスよ
                            愛に飢ゑたる アドニスよ
                            優しき愛で 抱(イダ)かれば
                            乳房を愛し 甘へんや

                            年頃なれば 求めたる
                            愛の行為に 導きて
                            二人伴にて 極まりて
                            愛の歓び 酔ひたりし

                            永遠(トワ)の人とも 想ひたり
                            愛の宴は つづかんや
                            雲のしとねに 伴にあり
                            天の祝福 彩(イロド)らん

                            冥府の女神 ペルセポネ
                            冥府によびて アドニスを
                            己のものに なさんとす
                            嫉妬に狂ひ 謀(ハカ)りたり

                            狩りを勧めん アドニスに(ペルセポネが)
                            ヴィーナス止めて 諭せども
                            狩りに夢中に なりたりや
                            されども罠に はまりたり

                            アレス(元ヴィーナスの愛人)猪に 変身し
                            アドニス襲ひ 倒したり
                            血を流したる アドニスを
                            介抱すれど 甲斐なしや

                            ヴィーナス歎き 悲しみて
                            アドニスの血に ネクター(神酒)を
                            注ぎにけりや 涙して
                            永遠の恋人 失へり

                            視よ!血の跡に アネモネの
                            紅き花にぞ 咲きにける
                            人々語る アネモネを
                            アドニスの花と 呼びたりや


ロセラー・ロセッティ(1746-1792)

フルート協奏曲ニ長調♪♪

 ほぼモーツアルトと同じ時代で活躍した音楽家である。モーツアルトと同じように明快な古典派のスタイルを保持している。フルートは透明である。またまぶしいような明るさがある。


庭の少女        モリゾ


印象派の女流画家のモリゾの描いた、庭に娘ジュリの佇む絵である。初夏とも思える明るい新緑を透明なタッチで描いてる。娘ジュリも愛らしく、庭の透明で明るい背景によく溶け合っている。ロセッティの明快で透明な音楽と通じる処があると思う。音楽のロココスタイルもジュリの愛らしさとよく似合っている。


クヴァンツ(1697-1773)

 クヴァンツは、1718年にポーランド侯宮廷のオーボエ奏者になったが、フルートに転向して各地を巡り修業をした。1728年フリードリッヒ大王の御前で演奏したのを契機として、王のお抱えフルート教師となり、フルート好きの王のために約300曲のフルート協奏曲と多数の室内楽を残した。クヴァンツは、前古典派の特徴を備えており、バロックと古典派の中間的な神妙な色彩を示しており、天才的な才能のあった音楽家である。

このトリオ・ソナタハ長調♪♪は、バロックフレーテ(フルート)とフルート(オーボエ)と通奏低音からなる傑作で、フランス風の緩急緩急の四つの楽章から成り、落ち着いた風格のある音楽性を示している。

ポンパドゥール夫人  フランソワ・ブーシェ



ルイ15世から愛されたポンパドゥール夫人は、文芸にも造詣が深く、ロココスタイルの擁護者であった。ヴォルテールやフランソワ・ブーシェなどを庇護し、フランスの文芸の発展に努めた。このポンパドゥール夫人の肖像画は、数ある肖像画のなかでも最も清純で美しい。ここにも、ブーシェの腕が冴え渡っている。


エマヌエル・バッハ(C.P.E.Bach)

 ドイツでもベルリンやマンハイムなどで新しい動きがおこっていた。ベルリンではフリードリッヒ大王が、多くの音楽家を集めイタリア的な音楽を愛好していた。ベルリン楽派の音楽を聞くと古典派の様式をふまえていることが分かる。大王に仕えた音楽の中で、際だって才能があったのがJ.S.バッハの次男のエマヌエル・バッハ(1714〜1788)である。エマヌエル・バッハは、バロックと古典派との過渡期の特徴を示している。彼の代表作には、クラヴサン協奏曲ニ短調オーボエ協奏曲変ホ長調フルート協奏曲集などがあり、それらのどれもが、極めて洗練された深い詩情と蔭りをたたえており、まるで、真っ赤に燃える紅葉がはらはらと散るような幻想的な雰囲気を感じることができる。林のざわめきと透明な空気を感じさせるようなところは、ナチュラルな古典派の特徴を感じさせる。

     愛のレッスン         ワトー


エマヌエル・バッハの音楽とフランスの画家ワトーの絵は驚くほど雰囲気が似ている。ともに、ロココスタイルの発端になったこと。木々の蔭りと深い詩情をたたえていること。洗練された王朝趣味を感じることなどである。ワトーは、フランス絵画を古典主義から解放した。そして、緑の自然の中で伸びやかに宴をひらく貴人を、蔭りのある詩情で描いた。それはエマヌエル・バッハの音楽の風景と一致している。それでは
オーボエ協奏曲変ホ長調第1楽章♪♪(C.P.E.Bach'Oboe Concerto Es-dur)を聞いてみよう。


ヴェルレーヌとワトー

 ヴェルレーヌの代表的な詩集「艶(エン)なる宴」は、ルーブルで見たワトーの絵画により触発されたものである。フランスでは、19世紀のナポレオン時代に新古典主義が勃興し、ロココスタイルは長く等閑視されていた。しかし、19世紀後半に音楽的な雰囲気を高揚する象徴派文学が興るに及んで、ロココスタイルがフランス的な雰囲気をもつ芸術として高い関心を持たれるようになる。その背景にはゴンクール兄弟の名著「18世紀の芸術」の影響があったと言われている。特に詩人ヴェルレーヌやバンヴィルに大きな影響を与えたことが文献に記されている。ドビュッシーもロココスタイルのフランソワ・クープランをクラヴサン(チェンバロ)の詩人として讃えている。

ヴェルレーヌは、ルーブルで度々見たワトーなどのロココスタイルの絵画から強い影響を受け、甘美でメランコリックな夢幻的雰囲気を詩集「艶なる宴」に結実した。マンドリンはワトーの絵画によく出てくる楽器であるが、「愛のレッスン」もその一つである。ヴェルレーヌの「マンドリン」はワトーの絵画そのものずばりであると言っても過言ではない。


                マンドリン  「艶なる宴」ヴェルレーヌ

               恋慕流しの 伊達男
               聞くは艶(アテ)なる 町娘
               背のさやけき 木(コ)隠れに
               よしなし言(コト)の 受け渡し

               あれはナルチス アマントか
               若さしたたる クリタンドル
               つれなき恋の 種々(カズカズ)に
               深き想ひの 歌を詠む

               絹のチョッキの 上衣
               長く寄り添う 裳裾かな
               その雅びなる あでやかさ
               優しく青き 人影よ
               
               朧月夜の 桃色の
               めくるめきたる をりもをり
               ざはめく風の 歌心
               せはしく弾(ハジ)く マンドリン


エマヌエル・バッハと禅宗の文化(C.P.E.Bach and The Zen Sect)

                   田園の気晴らし(部分)     ワトー


             


 
エマヌエル・バッハは、父バッハの才能を最も受け継いだ音楽家であった。特に、鍵盤楽器には父バッハにも劣らない腕前をもっており、自ら「クラヴィア奏法」を著している。ベルリンの宮廷にクラヴサン奏者として仕えたエマヌエル・バッハは、父バッハの半音階的な奏法に、宮廷的な雅びを加え、深い詩情と蔭りを湛えた、洗練された音楽を創作した。クラヴサン協奏曲ニ短調♪♪(C.P.E.Bach's Cembalo Concerto d-moll)は、そのようなエマヌエル・バッハの傑作である。このような作品を聞いていると、洗練された雅びと神韻縹渺とした深遠な世界観を感じることが出来る。

ワトーの「田園の気晴らし」も、宮殿の離宮を取り囲んでいる木々の深い蔭りと、貴人たちの雅やかな雰囲気を詩情豊かに描いていて、エマヌエル・バッハの世界と一致している


天竜寺庭園

天竜寺庭園            嵯峨野
          


 京都には、大きな禅寺が多い。足利将軍家が禅宗を庇護したからである。禅宗は、鎌倉時代に日本に伝えられるが、室町時代に京都で絶頂を極める。日本の禅宗の文化は、王朝の雅びを融合し、質素でかつ洗練された神韻縹渺とした趣を醸し出している。
 
筆者は、天竜寺庭園が好きで度々足を運んだが、その趣の深さにいつも感銘を受ける。背景の木々の蔭りと、池に点々と配置されている岩石の風雅さが一体となり、神韻縹渺とした趣を観じざるを得ない。このような禅寺の庭園を見ると、エマヌエル・バッハのクラヴサン協奏曲を想い出してならないのである。



王維の漢詩

 王維といえば、唐代の詩人として有名である。王維は、六朝以来の宮廷詩人の伝統を受け継ぎ、典雅静謐な趣にたけているといわれる。また、彼は、書画や音曲にも優れ、その山水画は、神韻縹渺として天才の素質があったといわれている。残念ながら、彼の書画は現存していないが、明代には王維は山水画の始祖として仰がれていた。王維の書画は、「詩中に画有り、画中に詩有り」と評され、彼自身も、「本来は画人になるはずの人間だったが、間違って詩人として世間に通ってしまった」と述懐しているくらいである。

また、彼の家系は仏教信仰が厚く、禅師を招いて教えを乞うほどであったといわれる。そのような禅宗的な山水画を想わせる五言詩に「過香積寺」がある。神韻縹渺としたエマヌエル・バッハの音楽に一脈通じるところがあるので紹介しておこう。

        香積寺(コウシャクジ)に過(ト)う
       
       知らず 香積寺
       数里 雲峰に入る
       古木 人径無し
       深山 何処(イズク)の鐘ぞ
       泉声 危石に咽(ムセ)び
       日色 青松に冷ややかなり
       薄暮 空潭(タン)の曲(マガリ人気のない深い谷の曲がり角)
       安禅 毒龍(煩悩)を制す



                     雲山楼閣図         夏珪

         


中国の宋代は、禅宗の栄えた時代で、質素な水墨画が好まれた。夏珪は、宋代屈指の山水画家である。主に水墨で描かれた山水は、縹渺としていて深遠である。王維の五言詩の如く、数里雲峰に入り、香積寺の鐘の音が聞こえて来そうである。王維の「過香積寺」と同様に神韻縹渺としたエマヌエル・バッハの音楽に一脈通じるところがないだろうか。


フルート協奏曲イ短調第1楽章♪♪

 CPEバッハは四つのフルート協奏曲を書いているが、そのどれもが傑作で、堂々とした3楽章形式の古典派協奏曲の特質を備えている。総奏の後に独奏がきて展開部になり、再び総奏と独奏を繰り返すという方式によっている。主題も一貫している。

CPEバッハのフルート協奏曲は、フルートの活躍が著しいが、劇的な感情表現はフルートの透明な音色により浄化されている。洗練した宮廷音楽の性質を失わない。曲の趣は雑木林と人が一体になっているワトーの木漏れ日の世界と等しい。

                     武蔵野の雑木林   所沢小手指


              


武蔵野に沈む夕日である。雑木林が多く空気が澄んでいるせいか、夕日は明るく淋しい感じはあまりない。武蔵野の夕日は本当に美しい。ワトーの木漏れ日の世界と武蔵野の雑木林の世界が似ていると思うのは筆者だけではあるまい。


クラヴサンとピアノフォルテのための協奏曲ヘ長調♪♪       

 CPEバッハは、二つの鍵盤楽器による協奏曲を数曲か残しているが、その中で最も有名なものである。季節は晩秋といった印象があるが、のも淋しさは浄化されていて、真っ赤に燃える紅葉をみているようである。雰囲気はCPEバッハ特有の神韻縹渺とした趣を示している。

                  日光裏見瀧  川合玉堂

               


真っ赤に燃える紅葉と碧峰にかかる飛泉といった景色は神韻縹渺とした趣があり、第一級の日本画であることが分かる。CPEバッハの多感な音楽の、メランコリーではなく、感情の昇華に向かっている特質は山水画の世界に接近している。

 
湖口にて廬山の瀑布の水を望む  張九齢(初唐)

万丈 紅泉落ち(陽光に映えた滝が流れ落ち)
迢迢 紫氛半ばなり(チョウチョウ シフンナカバナリ遙かに眺めれば紫色のもやが半ばおおっている)
奔流 雑樹に下ち
灑落 重雲を出す(シャラク チョウウンヲイダス飛沫で雲気が湧き起こる)
日照 虹霓似き(コウゲイ ツキ虹が現れ)
天清 風雨聞こゆ(風雨のような響きが聞こえてくる)
霊山 秀色多く(秀れた景色が多く)
空水 共に氤温たり(インウンタリ麗しい気が立ちこめている)



宇宙的と言える神秘性と甘美なピアノとクラヴサンのハーモニーは、洗練された雅びを醸し出している。J.クリスチャン・バッハとも共通した少年的な美学の世界を示唆している。禅宗と少年愛とは縁が深い。女人禁制であった寺院では美少年が珍重されたが、特に禅寺では簡潔で典雅な美少年(稚児)がもてはやされて、室町期の京都では寺院の抱える稚児で争いになるほどであった。そのような僧侶と稚児の物語が御伽草子に幾つも残されている。


                 遙か昔に

                            遙か昔に 出逢ひたり
              天使のごとき 少年よ
              八幡神社の 境内で
              偶然伴に 出逢ひたり

              足ぶらつかせ うつむきて
              ひとりきりにて 座りたり
              声掛けたれば 転校し
              友のひとりも なからんや

              頬丸くして 典雅なる
              甘き顔(カンバセ) アモールの
              彫刻のごと 美はしき
              紅き唇 なまめかし

              家に招きて ゲームなど
              したりけれど 飽きたりて
              可愛ひと告げて みつめれば
              まなこ少々 潤みたり

              そのまま花びらに 重ぬれば
              息熱くして 朧(オボロ)なり
              房なけれども 少年の
              二つの鈴を 探りたり

              化石の如く 固くなり
              裸体の天使 なりたれば
              無垢なることぞ 限りなし
              かすかな声で 果てたりや

              双(フタ)つの丘の 丸くして
              前の化石と 相まって
              天使の如く 清らなり
              ニンフの如き み足なり

              約束の日 ゆきたれば
              その子は突然 消えたりと
              子供達より 聞きにけり
              落胆すること 著(シル)きかな

              天の御国の み使ひか
              遠ひ銀河の 星からぞ
              誤りたりて 来るかな
              神隠しに 遭ひたるか

              夜の星座を 眺むれば
              遙かに遠ひ 惑星へ
              帰りたらんや 少年よ
              旅の途中に 寄りたりや

              銀河の星の み使ひは
              愛を求める 少年か
              されど誰をも 君知らじ
              吾ひとりだけ 除きては

少年ダヴィデ  ドナテロ


ドナテロはミケンランジェロと並び称されるイタリア・ルネサンスの彫刻家の巨匠である。ミケランジェロに比較すると約100年ほど前の15世紀に活躍した。ボッティチェリに比較しても50年ほど早い。いわゆる初期ルネサンス期で、まだまだ中世的な色彩が残っていた時代であった。ドナテロは中世的な敬虔さとルネサンス的な優雅さ兼ね備えたまさに天才であった。ルネサンス的な優雅さを代表する作品がこのダヴィデであり、つとに有名である。この彫刻はルネサンスを通り過ぎてロココスタイルや新古典主義的な優雅さと写実性を兼ね備えた奇跡的とも言える作品である。少年の彫刻は余りないが、プーシャルドンの「弓をひさぐアモール」と並び称される傑作である。

モデルは、当時王侯貴族の間で寵愛された美少年で、歴史に残る少年である。多分貴族の誰からからの注文に応じて作られたもであろうが、その肉薄した写実性と艶やかさはまるで生きてるかのようである。



ハープの為のソロ曲 inG
♪♪

C.P.E.バッハにこのような可憐で美しい曲があったのは驚きを感じてしまう。疾風怒濤的なベルリン学派のイメージの強いC.P.E.バッハであるが、初めて聞いたときには驚きと嬉しさが、込み上げてきた。様式的には前古典派に含まれる。ヘンデルのハープ協奏曲とモーツアルトのフルートとハープの為の中間にあると考えてよい。ヘンデルのような古典主義的な雰囲気はないが、18世紀の音楽に共通した気高さは十分に感じられる。そして、モーツアルトのロココスタイルは十分にあり、ニンフと自然と宮廷を思わせるところは共通している。

第一楽章がアダージョで、メロディーがはっきりしていて、美しい曲である。ヘンデルのハープ協奏曲を想わせるようだ。しかし、第二楽章アレグロと第三楽章のヴィヴァーチェに近いアレグロは、ロココスタイルをよりはっきりと感じさせる。これを視覚的に表せば、ロココ風宮殿と、海で泳ぐニンフを見ているような気がする。




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