フランク(1822〜1890)

 年代的には、サン・サーンスやフォーレに比較すると年長になるが、フランクが本格的な作品を発表するのは晩年になってからであり、フランクの存在は、当時のフランスの楽壇とは必ずしも歩調を伴にしているとは言い難い。フォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番は、フランクのヴァイオリン・ソナタイ長調よりも10年ほど前に書かれている。サン・サーンスのヴァイオリン・ソナタも1年早い。このようなフランクの孤立性は彼の生い立ちや性格、その後の人生に由来していると考えられている。

フランクは、ベルギーのリエージュでドイツ人の両親のもとに生まれた。リエージュの音楽院で神童と認められ、両親はパリへ出て、フランス人の国籍を取り、フランクをパリ音楽院(コンサルヴァトワール)に入れた。パリ音楽院でもオルガン、ピアノ、作曲などで賞をとり天才ぶりを発揮した。フランクは、音楽院でローマ大賞を目指して作曲の勉強をしようとするが、野心家の父親はフランクをヴィルトゥオーソ(天才演奏家)に仕立てる為に音楽院を退学させ英才教育を施すためにベルギーに連れて帰ってしまった。

フランクは、ベルギーで天才ピアニストの修練をして再びパリに出て永住することになるが、彼の地味な性格は派手な演奏家には向いてはおらず、とりあえず自活するために教会のオルガニストになり、弟子を教えることで生計を立てる道を選んだ。それからなんと約30年後1872年にパリ音楽院のオルガン教授に就任しサン・サーンスなどとも親しく交わるようになった。そのころ10年の歳月をかけてオラトリオ「至福」を完成させた。評価はまちまちで生前に全曲演奏されることはなかった。正当に評価されたのは第2次世界大戦後である。

サン・サーンスの提唱で、1871年に「国民音楽協会」が設立され、フランクもメンバーの一員に推挙され、フォーレ、ドビュッシーなどとも知りあった。彼の音楽環境は大きく変化し、50代後半から重要な作品が次々に生み出され、音楽史に大きな足跡を残すことになる。

フランクの作風はドイツ的であるとよく言われる。特に交響曲ニ短調は重厚なドイツ的な作品である。しかし、有名なヴァイオリン・ソナタやピアノ独奏曲などを聞くと、フランス風のロマンチシズムを有しており、長い間住んでいたフランスのエスプリ(精神・才気)の影響を受けている。そのような両面性が、フランクの魅力になっていると思う。

ヴァイオリン・ソナタイ長調

 1886年(64歳)に、大ヴァイオリニスト・イザイの結婚の祝賀に献呈された作品である。このような背景のために、フランクの作品の中では最も明るい色彩をもった作品である。4つの楽章からなっており、第1楽章と第4楽章はフランス風の色彩的なイメージが濃い。しかし、中間の第2楽章、第3楽章は深いロマン性を漂わせておりただならぬ作品であることが分かる。このような深いロマン性にカトリックの結婚の秘蹟の神秘性を表したものであろうか。全体的な「ロマン派の風」が吹いており素晴らしい作品である。

第1楽章
ヴァイオリンの半音階的なゆったりした分散和音は、モネの睡蓮のような色彩感を与えている。結婚の祝賀に相応しい出だしである。ピアノがシューマン風のロマンチシズムを煽る。もう一度繰り返す。

第2楽章
ヴァイオリンの上昇的なパッセージがロマン性を盛り上げる。夜の世界に情念を燃やすような深いロマン性に発展する。もう一度繰り返して終わる。

第3楽章
ヴァイオリンとピアノで夜のロマンチシズムを盛り上げてゆく。回想なども現れてくる。

第4楽章♪♪
                         日傘をさす女         モネ

                                          

この「日傘をさす女」は、一般的にはモネの最愛の妻カミーユを描いていると言われている。しかし、この絵が描かれたのは1886年であり、カミーユは1879年に37歳で亡くなっている。カミーユの顔を見るとヴェールに蔽われているようでよく見えない。1886年に描いたこのカミーユ像は、実はモネの回想なのである。

フランクの「ヴァイオリン・ソナタイ長調」の第4楽章は、民謡風な明るい出だして始まり、結婚する二人を祝福しているようである。爽やかで風に吹かれているようでもある。

ところが、途中から、ピアノの断続的な音により深淵を覗き込むような激しい音楽が現れる。これは、この絵で言えば、亡くなったカミーユへのシリアスな回想と考えると興味深い。このモネの絵は、カミーユへのシリアスな回想を含んでいるのである。また民謡風な明るい音楽になり曲を終わる。

ピアノの独奏曲

 フランクのピアノ独奏曲では、62歳に書いた
前奏曲♪♪、アリアとフーガ」「前奏曲、アリアとフィナーレ」が傑作として知られている。曲名はバッハの「平均率クラヴィア曲集」のプレリュードとフーガから取られている。

ゆったりとした幻想曲風の曲で、静かなロマンチシズムが燃えているような曲集である。バッハのように深刻ではなく、ベートーヴェンのように激しくなく、ショパンのように情緒的でもないフランク独自の世界が奏でられている。メロディーラインも分かり易くロマンチックな雰囲気を漂わせている。感情を煽るような処はなく、フランス的な均衡と調和を感じるのは気のせいだろうか。メロディアスでロマンチックな部分と深まってゆく部分とがあるようだ。現在はピアニストの必須のプログラムらしい。ロマンチシズムを感じるのは前者の前奏曲であり、明るくメロディアスなのは後者の前奏曲である。どちらも絵画的であると思う。

                         殉教した若い娘      ドラロッシュ

                                        

ドラロッシュは、フランスのサロンで成功した画家であったが、1846年に年若き妻を亡くしたことを契機に、晩年は宗教画に傾倒した。亡くなった妻の幻影を、ティベル河に流されるキリスト教の殉教者の娘に重ねている。これは、当時もてはやされたオフェーリアの死ともイメージが重なり、ロマン主義者に感銘を与えた。

フランクの前奏曲は、静かな情景だがロマンチシズムをかきたてている。決して激しくはないが、静粛にドラマを告げているようである。ピアノは河の流れのように滑らかに奏でられている。

交響曲ニ短調

 この交響曲は、フランクの死の2年前に作曲された。初演は翌年でパリ音楽院で行われた。評判は芳しくなかったが、フランクは超然としていたという。重厚な響きがドイツ的であり、第1楽章はブラームスの交響曲第1番の第1楽章と雰囲気が似ている。苦悩の後の歓喜というベートーヴェン的なテーマを取り上げたこともよけいにブラームスの交響曲を連想させることになる。ここには、フランス的な明朗な世界は見られない。注目すべきことは、この交響曲は主に三つのライト・モチーフからなっていることである。フランス人はこれを循環形式と呼んでいる。

                        ハレ市の教会     ファイニンガー

                                          

第1楽章
冒頭に「希求の動機」が現れる。救いを求めている人々の様子を表している。重々しい空気が支配している。出口が見つからないような苦しさである。しばらくして、明るくなり「信仰の動機」が現れる。ゴシックの教会に朝日の光が入って来たような印象を受ける。閑かな風景も見えてくるようである。

再び「希求の動機」が現れて救いを求めるような重苦しい様子になる。「信仰の動機」も現れるが、「希求の動機」に圧倒されてしまう。「希求の動機」は上昇し宇宙大の大聖堂になり楽章を終わる。

第2楽章
アレグレットの間に抒情的なトリオがある。第1楽章と第3楽章をつなぐ架け橋の役割をしている。

第3楽章♪♪
短い序奏に続いて「歓喜の動機」が現れる。明るい雰囲気になる。「信仰の動機」が現れて金管楽器がファンファーレをならす。第2楽章のアレグレットが現れる。「信仰の動機」が次第に高まってゆく。信仰と歓喜の動機が一つになり曲を終わる。



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