序章 初めに

クラシック音楽との出会い

 小学校のころからピアノを習い、父からベートーヴェンのピアノソナタや交響曲のレコードを買ってもらい、よく聞いていた。特に「悲愴」や「田園」が好きで何度聞いても飽きなかったことを覚えている。高校生のころは、学生の間ではビートルズが全盛を極め、フォークソングが流行していた。しかし、なぜか流行歌に夢中にならないで、クラシックにますます傾倒していった。

高校生のころ、キリスト教にひかれ、それと同時に、宗教音楽を聞くようになった。特に、バッハの「トッカータとフーガ」と「カンタータ第71番、51番」のレコードは私の宗教的な信仰心に大きな影響を与えた。これらの音楽を通して、私はキリスト教の神秘主義を感じたといってもよい。聖書とこれらの音楽とキリスト教美術は全く一つのものであった。

しかし、偶然手に入れたヘンデルの「ハープ協奏曲」が人生に大きな転機を与えることになる。バッハの閉鎖的で陰気な音楽に対して、ヘンデルの世界はなんと明るく開放的なのだろう。私の青春の血はヘンデルの音楽に新しい道を見つけたのであった。

当時、私はキリスト教の救いのあり方に悩んでいた。そのようなときヘンデルの「ハープ協奏曲」は解答を与えてくれた。「ハープ協奏曲」はギリシア的な世界観を示してくれた。それは、中世にキリスト教に縛り付けられていたヨーロッパ人がルネサンスを通して、古代ギリシア・ローマの古典にふれた感動にも似たものがあった。プラトンの対話編を読むことによって智により真理が得られることを初めて知ることが出来た。そして、大学の専攻は古代ギリシア哲学になった。

東京で学生生活を送るようになるが、私が東京に関心をもったのは、都会の繁華街ではなく、東京郊外の武蔵野の光景だった。東京郊外では住宅と雑木林が一体になっている。緑と日常生活が混じり合っている。郷里の岡山にはなかった光景である。その武蔵野の風景の中に、詩情を感じていた。クラシック音楽の似合う街、それが東京であると思う。

武蔵野は四季の変化をよく感じさせる。日常に溶け込んでいる緑と空色が感興を与え、古典派の音楽により多く関心をもつようになった。古典派の音楽の特色は、音楽に爽やかな自然を与えたことである。バロックの古典主義的な荘重さからロココ様式になり、自然と人間がテーマになり、緑の中に人々や神々が描かれるようになった。ワトーは、ヨーロッパ絵画で初めて緑の自然の中に人物を描くことをテーマにした。ブーシェの絵にも人物や神々の背景には必ず緑の自然がある。ロココ様式に対応するように、音楽もより自然でみずみずしいものに変化していった。

音楽への私の関心は古典派になり、モーツアルトやハイドンだけではなく、古典派の作曲家をあさるようになった。1970年代はエラートやハルモニアムンディなどのレコードがたくさん発売され、空前の古楽ブームになり、目的のレコードを探すのにほとんど苦労しなかった。特に私が発見した掘り出し物はバッハの息子達であった。 古楽器アンサンブルのコレギウム・アウレウムによるバッハの息子達の演奏は素晴らしく、すっかりその世界に魅惑されてしまった。

現在も変わらないが、当時のクラシックの流行はマーラーやブルックナーなどで友人にも熱心なファンがいた。しかし、なぜか私は古典派が好きだった。いまでもよく聞くのはヘンデルやモーツアルトなどが多い。時にはロマン派を聞くことはあるが、古典派を聞くとほっとすることがある。仕事で疲労していることもあるのかもしれないが、学生時代の趣味というのは変わらないものだと思う。

音楽の風景

 私は音楽を風景や情景として捉えることが好きだ。音楽も、絵画や建築・文学や思想と同じように明確なイメージをもったものと考えている。それが視覚的なイメージであろうとも、あるいは精神的なイメージあろうとも、何かはっきりとしたイメージを感じないと音楽を理解したとは思えないのである。つまり、私は音楽を音の遊びだとは考えていない。優れた音楽ほど深い思想と美しい風景をもったものであると思う。時にはその思想が人生観を変えることさえある。

古典派までの音楽は、時代の芸術の様式と深く結びついていた。したがってイメージを捉えやすい。しかし、ロマン派以降になると音楽は主観的になり作曲家の個性や民族性が強くなり、時代の精神だけでは理解できなくなった。作曲家の人生観や思想を理解しなければならない。それだけにロマン派の音楽を真に理解するのは難しいと思う。マーラーやブルックナーが、いったい何を考えてあのような規模の大きな交響曲を作曲したのかを理解しなければならない。

「クラシック音楽の風景」では、ルネサンスから後期ロマン派までの優れた曲のイメージをなるべく分かりやすく書いていくつもりである。作品だけではなく指揮者の演奏にも折に触れて書いてみたい。優れた指揮者は、作品の適切な解釈を与えてくれるからである。もし私のホームページで読んでくださる方がいたら、率直なご意見や感想をいただければ、このうえなく幸いであると思います。



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