ラフマニノフ(1873-1943)

 ラフマニノフは、ロシアのノヴゴロドの由緒ある貴族の家に生まれた。音楽家で貴族出身というとイタリアバロックの作曲家アルビノーニくらいであり極めて希である。幼少のころからピアノをひき、ペテルブルク音楽院からモスクワ音楽院に移り、金メダル大賞を取って卒業した。ピアニストとしてずば抜けた才能があり、20世紀最大のヴィルトゥオーソ(天才ソリスト)と呼ばれた。オペラ「アレコ」の成功により新進気鋭の作曲家としても期待されていた。

交響曲第1番を書き始めたが、それには重大な理由があった。ラフマニノフはボリショイ劇場で出会ったジプシーの美女を熱烈に愛していた。ところが彼がラドナーヤと呼んだ女性は、すでに人妻であった。ラフマニノフは解決の出来ない恋に苦しみ、交響曲を書くことで恋の苦悩を忘れ去ろうとしたのである。この異常な精神状態の中で、交響曲の主導動機はグレオリア聖歌の「怒りの日」が用いられ、終楽章は最後の審判になり鐘が鳴り響いた。初演は指揮者の意図的ともいえる無理解によりさんざんな結果になり、ラフマニノフは耳を覆って会場から逃れたという。

第1交響曲の失敗と失恋で、ラフマニノフは極度のノイローゼになり作曲の自信を失ってしまった。幸い優秀な精神科医に恵まれ、失意を乗り切って、有名なピアノ協奏曲第2番を作曲して、大好評を博し見事にカムバックした。1905年にペテルブルグで第一革命といわれる「血の日曜日事件」が起こり、ラフマニノフは混乱を避けて、ドイツのドレスデンに家族と伴に移り住んだ。このころが最盛期で、有名な交響曲第2番やピアノ協奏曲第3番などが次々と作曲された。

ロシアに戻っていた時に、1917年ロシア革命が起こり、ラフマニノフは北欧からアメリカに亡命した。その後しばらく音楽活動を休んだが、スイスのルチェルン湖畔に別荘を設け、毎年夏に滞在して晩年の作品を作曲した。

ラフマニノフの特色

 ラフマニノフの作品には幾つかの特色がある。ピアノ協奏曲や交響曲などに共通して、ロシア的で北方的な季節感があり、常に霧がかかったような、ほの暗いロマンチシズムを感じさせる。ピアノ協奏曲第2番や交響曲第2番は、曲想が明るく親しみやすく、それだけに人気があり、よく演奏されているようである。

チャイコフスキーの作品では、ロシアの大地や自然が雄大に描かれているが、ラフマニノフの場合には、大自然というよりも、都会的な風景の中にロシアの自然が反映している。主に20世紀に活躍したラフマニノフには、都市生活はごく当然であり、都会人として意識が根底にあるようである。それは、同時代のロシア作曲家カリンニコフにも共通している。

ラフマニノフのピアノ協奏曲が現代人にこれほど受けるのは、やはり同じ都会人としての意識があるからであると思う。霧のかかった北国的な季節感もロマンチシズムも、都会的な風景の中にある。だから、現代人は19世紀以前の曲よりも遙かに感情移入がしやすいのである。

ピアノ協奏曲第2番

 言うまでもなく、クラシックのピアノ協奏曲中でも最も人気のある作品である。都会的な風景と霧に包まれたようなロマンチシズムが現代人に共感を呼んでいるのだと思う。第1楽章はフィギアスケートのバックミュージックなどによく使われる名曲でもある。

第1楽章♪♪
霧のかかったような朧気な出だしから、メロディアスな第1主題が現れる。曇った重苦しさのようなものもある。北国のイメージである。しばらくして、ピアノのひくロマンチックな第2主題が現れ、都会的な洗練された光景を彷彿とさせる。この都会的な風景こそ、現代人にとって普遍的な意識ではあるまいか。街と人を想わせる。だからこそ、そこに無数のドラマがあるのである。

                          モンマルトルのサクレ・クール  ユトリロ

                                          


ユトリロは、モンマルトルでサクレ・クール寺院を幾つも描いている。どの作品も色彩は清冽な白色で統一されている。街路樹などの様子から季節は冬であり、雪景色であると見ることも出来る。空は曇り白っぽい色をしている。

この季節感はラフマニノフのピアノ協奏曲と軌を一にしている。ラフマニノフに出てくる光景も、霧がかかり空は曇っている。南国的な光景とは別世界である。しかし、霧がかかり空が曇っているからこそ、そこにドラマ性とロマンチシズムを見いだすことが出来るのである。しかも、風景は人が往来している都会である。そのような意味でユトリロの絵画との共通性は十分にあると思う。ユトリロの絵画も印象派の画家とは異なり、南国の抜けるような光景とは別世界である。彼は、冬の雪景色のパリに無性にひかれている。ラフマニノフもそれと同じように、北国のしかもロシアの光景に限りないロマンチシズムを感じているのである。

第2楽章♪♪
やはり霧に包まれたような朧気な出だしである。木管楽器の音色は常に北国の透明さを表現している。霧で包まれた街並みは、朧気な白色で統一されている。ピアノがロマンチックな第2主題を演奏する。霧の街にドラマを予感させる。

                              ヴェネチアの月     竹内栖鳳


                                         


「ヴェネチアの月」は、竹内栖鳳の渡欧時の水墨画である。竹内栖鳳は、ヨーロッパの浪漫を「ヴェネチアの月」で見事に表現している。街並みの類い希な美しさを霧で覆うことにより、限りない浪漫をイメージしている。この感性は、ラフマニノフの感性と一致している。このイメージは、モスクワであれ、パリであれ同じであり、霧に包まれることによりドラマを一層予感させている。

第3楽章
ロンド風の慌ただしい主題のあと、ピアノが抒情的な第2主題を奏でる。朧なイメージは前楽章と共通している。ロンドは人の往来の盛んな街を連想させている。ロマンチックなピアノが、そこにドラマを予感させる。

ピアノ協奏曲第3番

 第3番はラフマニノフのドレスデン時代に書かれたもので、第2番より奥行きが一層深くなり、ピアノ協奏曲の究極の域に達している。ベートーヴェンもチャイコフスキーもなしえなかったピアノと管弦楽の奥義に達している。そのスケールの大きさは、3楽章の交響曲といっていいほどであり無比である。ロシア的な風景の厳しさと美しさは究極に達し、絶妙なバンラスを保っている。彼以降このようなピアノ協奏曲を書いた人物は誰もいない。

ドレスデン時代に、ラフマニノフの創作意欲は最高潮を迎えた。この時期にアダージョで有名な交響曲第2番が書かれている。ピアノ協奏曲第3番は、アメリカへの演奏旅行用に作曲完成され、ニューヨークでラフマニノフのピアノで初演された。カーネギーホールでのグスタフ・マーラーとの共演でも熱狂的な喝采を受けた。

第1楽章♪♪
郷愁を誘うような親しみのある第1主題のピアノで初まる。管弦楽により咀嚼(ソシャク)するように深められていゆく。しばらくして、抒情的な第2主題がピアノで奏され、ロマンチシズムの深まりを見せる。ロシア的な風景の厳しさと美しさが見事に描かれている。再び第1主題が現れると間もなく展開部に突入していく。吹雪のような情景になり真のロシア主義的な音楽が展開される。冬将軍が現れナポレオンを撃退したロシアを語っているかのようである。透明なピアニズムは究極に達している。しばらくして、第1主題が再現して曲を締めくくる。

                              ルーヴシエンヌの雪   シスレー

                                          

シスレーは、ルノアールと同時代の印象派の画家である。ルノアールが雪景色を好まなかったのとは対照的に、シスレーは雪景色の中にロマンチシズムを充分に見いだすことが出来た。雪景色の先には、洋館のような豪奢な建物が見える。厳しい雪道の先に温かい世界が見えている。周囲の景色が冷たい分だけ、行く先の建物が魅力的に見えるのである。清冽な雪景色は、一層ロマンチシズムを煽っている。雪景色の厳しさと美しさが見事に描かれている。この協奏曲のイメージに最も近い絵画である。ピアノも楽器も透明な雪のように鳴っている。しかも、その透き通った音色の先に美しい浪漫が描かれている。

第2楽章
第1楽章の展開部のようなロシア的な雪景色が半音階的なピアノにより描かれてゆく。ここには緩徐楽章によくありがちな甘いロマンチシズムはない。吹雪は次第に消え、明るさを取り戻していく。ロシア的な郷愁をあおるようなメロディーが管弦楽により奏でられて、第3楽章に移行する。

第3楽章♪♪
ソナタ形式の堂々たる第3楽章であり、15分に至る無比の終楽章である。スラブ舞曲のような第1主題で始まる。次第に明るくなりピアノの抒情的な主題が現れる。展開部では、雪解けのような美しいピアノの分散和音が繰り返し現れる。管楽器に春の訪れを感じさせる。再び舞曲的な第1主題が現れる。それは早春への行進曲でもある。曲全体が暖かさを帯びて来る。しばらくして、華麗なピアノのカデンツァになり春の到来を告げる。まるで管弦楽が勝利したかのように曲を締めくくる。

                             早春のパリ         田崎廣助

                        

田崎廣助は、戦前から戦後に活躍した洋画家である。「早春のパリ」は、渡欧時代に書いた作品である。当時のパリには、藤田嗣治がアトリエを構えていて、日本人の留学生が出入りしていたが、田崎は会いに行くことはなかった。前衛的な絵画に対してセザンヌに傾倒していたからである。「早春のパリ」も印象派的な柔らかい筆遣いが美しい。


交響曲第二番第三楽章「アダージョ」

ラフマニノフは交響曲第一番で失敗して痛手を受けたが、ピアノ協奏曲第二番の非常な成功で立ち直り、ボリショイ劇場の指揮者となり名声を高めた。ロシアでは、1905年血の日曜日事件が起こり、第一次ロシア革命が起こった。ラフマニノフは静かな環境を求めて、ドレスデンに別荘を借り妻子と移り住んだ。1902年のころから交響曲第二番を構想していた。ゲヴァントハウスの指揮者ニキシュから新しい交響曲を依頼され、作曲は一気に進み、1907年に完成した。ラフマニノフの指揮で再演され、成功を収めた。批評は好評でグリンカ賞獲得した。


全体は50分を超える大曲であり、最もポピュラーな曲は第三楽章のアダージョ♪♪である。ラフマニノフの曲では最もロマンチックな作品で、メロディーも美しい。クラリネットや弦がよく歌っており、起伏にも富んでいる。後期浪漫派を代表する作品の一つである。

愛           クリムト





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