シューベルト(1797-1828)

ミサ曲第6番

 このミサ曲は、シューベルトの逝去した1828年の6月に着手され夏に完成した最後のミサ曲である。このミサ曲は死の寸前に書かれたもので、シューベルトの最期の境地を示している。全体的には、起伏が多くドラマチックな要素と美しい合唱が渾然一体となっており、質の高い優れた作品になっている。トータルの時間は65分で、当時のミサ曲の倍の長さがある。これは、シューベルトがベートヴェンの「ミサ・ソレムニス」を相当意識していたことによると思われる。フーガが多く、曲に起伏を与えているのも、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」と似ている。

また、半音階の処理が多く、ウィーン古典派のミサ曲とは一線を画している。伝統的なウィーン古典派のミサに準じながら、ベートーヴェン、更にはヘンデルやバッハや独自の書法を取り入れて、従来にない画期的で美しい作品になっている。死の寸前に書かれたミサではあるが、諦念や悲劇的な様相は全くない。最後のアニュス・デイの美しい合唱を聞いていると、シューベルトの死は、吾々が思うほど悲劇的ではなかったように思う。多分音楽の天使に迎えられて高い世界へ帰って行ったのではあるまいか。

ここでは、後半のサンクトゥスからアニュス・デイまでの楽曲解説をしてみたい。音楽を聞きながら解説をご覧になってください。

♪♪サンクトゥス「聖なるかな」

「聖なるかな」は弱い合唱から大きな合唱に発展していく。まるで、祭壇から光がだんだん強く発していくようである。続いて、力強いフーガになる。このフーガはベートーヴェン的なフーガであり、信仰の勝利を表していると思う。さらに「ホザンナ」になるが、これは、とりわけ美しいフーガであり、天上に昇って行くようなイメージを与えている。

♪♪ベネディクトゥス「ほむべきかな」

ベネディクトゥスは、ウィーン古典派では、明朗典雅な独唱で歌われ、ミサの中でいちばん美しい処である。シューベルトは、半音階を使い、敬虔で素朴なバッハの独唱曲のような効果をあげていると思う。この辺りにシューベルトの信仰心が現れているのかも知れない。ここで「ホザンナ」がもう一度歌われる。美しいフーガで、天上に昇って行くようなイメージを与えてくれる。

「キリストと使徒ヨハネ」は、 ドイツ・ルネサンスの素朴で敬虔な彫像である。バッハの独唱曲には、この様な信仰心を切々と歌ったものが多い。シューベルトは、あえてバッハのような素朴な独唱曲の雰囲気を出して、信仰心を表そうとしたのかも知れない。

                                   キリストと使徒ヨハネ

                           


♪♪「神の子羊」

「神の子羊」には、キリストの受難が意味されている。
シューベルトは、ここで重々しい受難を思わせる音楽にしている。
このミサの中で最もシリアスな音楽である。
「メサイア」の第2部の第1曲の「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」とよく似ている合唱であると思う。


♪♪我らに平安を与え給え

キリストは、復活して弟子たちに会って、天に昇っていった。キリストは死に打ち勝ち、救世主になった。
「キリストの墓を訪れる女たち」は、キリストの復活の場面を描いている。遠くに墓から出たキリストとマグダラのマリアが見える。女たちは手を合わせて救世主に祈っている。また、キリストが受難に打ち勝ち復活したことを、女たちは手を挙げて賛美している。

シューベルトの辞世の音楽である。清らかな女性合唱が、キリストの復活を賛美している。また、シューベルトもこの音楽の中で魂の安かであらんことを祈っているのではなかろうか。

                                          キリストの墓を訪れる女たち   モーリス・ドニ

                                   

ピアノ三重奏曲第2番

 シューベルトは、1828年11月31歳で亡くなっている。この曲は1827年に作曲されている。幸いシューベルトは、この曲を聞くことができた。しかも、この曲は評判がよかったらしい。シューベルトの作品は晩年にはかなり有名になっていて、コンサートも満席であったらしい。

最晩年の曲であるが、ピアノ3重奏曲第2番は、4楽章からなっていて、全体的には、ピアノ5重奏曲「鱒」と同じように、明るくみずみずしい。ただ、第2楽章のアンダンテは、ロマン性の濃い美しい曲で、他の楽章に比べて際だっている。他の3楽章は容器で、
♪♪第2楽章のアンダンテが中身といったような感がある。

ここでは、第2楽章のアンダンテだけを取り上げて、精神的な風景を考えてみよう。まず曲を聞きながら、ご覧下さい。

    彫刻の寓意   クリムト


 シューベルトのこのアンダンテを「生と死の幻想」というキーワードで括ってみた。シューベルトは、目前の死を見つめながらこのアンダンテを書いている。残された命を燃やしながら。このアンダンテはぎりぎりの命の中で、透明に結晶したような傑作が生み出されたのである。

 何処かへ向かっていくような調子で第1主題が提示される。しばらく行くと、夢見るような美しい音楽が、弦楽器で奏でられる。ロマン派そのもの音楽である。しばらくすると、今度は、不吉などよめきに似た激しい音楽になる。その後、以前の第1主題の音楽が続き、また、不吉な激しくどよめく音楽になる。この不吉などよめきは明らかに死を意識している。また、夢見るようなアンダンテになる。そして、主題が変わり、盛り上がり、余韻を残して曲を終わる。

クリムトは19世紀末のウィーンで活躍した画家で、世紀末の行き詰まった不安な心理を絵にしている。

クリムトの「彫刻の寓意」を見ると、まず、女性の裸体画が目につく。この裸体画は、西欧の伝統的な絵画と比較すると何故か華奢で、何かを象徴しているようである。背後のビーナスも冷たい。さらに背景には、不気味な彫像の頭部が並んでいる。裸体の女性を祝福しているには見えない。

裸体の女性は、人間の生命、恋愛、芸術などを象徴している。しかし、背後には冷たく不吉な死者が控えている。前部に人間の頭部が書かれているが、死者のように見えないわけではない。「生と死の幻想」の寓意のようである。シューベルトのアンダンテも「生と死の幻想」がテーマになっている。


未完成交響曲

 未完成交響曲は、シューベルト(1797〜1828)のロマンチシズムの傑作である。未完成交響曲は、単なるロマンチックで甘い曲ではなく、深いドラマ性を秘めている。第1楽章の冒頭の不吉なモチーフはこの曲に意外なドラマがあることを予告している。第2主題は、幸福な愛を想わせるが、すぐうち消されてしまう。やがて再びあの不吉なモチーフがあらわれ、徐々に深くなり、ついに炎が燃るような激しい音楽になる。幸福な愛は一転して耐え難い苦しみになってしまう。人を愛から耐え難い苦しみに引きずり落とすものとは、恋人の死しかない。未完成交響曲は、恋人の死の回想なのである。第2楽章は、美しい恋人の回想から始まる。やがて、胸騒ぎがするような音楽が現れる。そして突然炎が燃えるような激しい音楽になる。そして、美しい恋人の回想になる。美しくも悲しい回想に…

 シューベルトは、死をロマンチックなテーマにして作曲している。「死と乙女」という作品が歌曲と弦楽四重奏にある。シューベルトは31歳という短い生涯を送るが、シューベルトは、死を見つめた作曲家だったのかもしれない。


歌曲集「美しき水車小屋の娘」

                                                            

                                           

 
この歌曲集は、シューベルトの歌曲の特徴と美しさを最もよく表している。まず、歌曲の純粋な美しさである。しかも、その純粋な美しさは、水色の小川、緑の森、青い空を想わせる色彩と溶け合って透明な世界を創り出している。ザルツブルク時代のモーツアルトのアリアも純粋な美しさを感じさせるが、あくまで全ヨーロッパ的なロココ趣味を反映している。それに対してシューベルトの歌曲は、ドイツ民謡風であり、ドイツ語の響きと一体であり、シューベルトは、ドイツ民族の心の歌曲を創作している。このような民族主義は、ロマン派の特色の一つである。

水車小屋の娘を恋した若者は、失恋して心の友であった小川に身を投げて、永遠の眠りについてしまう。この歌曲集では、若者の死をロマンチックに語っている。死を永遠の安らぎと考えロマンチックにとらえるのはドイツロマン派の特色である。シューベルトの歌曲はドイツロマン派の系譜に属している。ここで、この歌曲集の中でも、最も美しい曲の数々No.8「朝の挨拶」No.9「水車屋の花」No.10「涙の雨」♪♪をお送りします。


ソプラノの天国的歌曲

 シューベルトは150曲を超える歌曲を書いたが、そのどれもが傑作で、「魔王」のようにリアルなものから「アヴェマリア」のような天国的美しさをもつものまで様々な作品を残している。ここでは、歌曲の天才と言われたエリー・アメリンクのディスクから、天国的な美しさをもつ歌曲を集めてみた。疲れた心をシューベルトの美しい歌曲で癒して頂ければ幸いです。

春の小川で♪♪ D.361
ショーバーの12の詩に作曲している。そのうちの一つで、小川に向かって「春になりお前は楽しそうだが、私の心は愁いている」と歌われる。この歌曲はシューベルトの中で最も天国的な美しさを感じさせるものである。

夕映えの中で♪♪ D.799
K.ラッペの夕映えと神を讃える歌がゆっくり歌われる。甘美な歌曲である。

野バラ♪♪ D.257
ゲーテの詩につけた有名な歌曲である。


あの国をご存じですか
♪♪ 
D.321
ゲーテの詩につけられたもので、「君よ知るや南の国」として広く知られている歌曲である。


恋する女の手紙
♪♪ 
D.673
「貴男の他に嬉しいものはない。・・・貴男の心を与えて下さい」というゲーテの詩に作曲されたもの。

                                                    手紙を読む女   フラゴナール

                                          

アヴェ・マリア♪♪ 
D.839
スコットの「湖上の美人」の少女エレンが聖母マリアに祈りを捧げる歌


音楽に寄せて
♪♪ 
D.547
音楽に感謝するショーバーの詩につけられた歌


4つの即興曲


 シューベルトは、死の前年に4つの即興曲を二組残している。これらの即興曲はシューベルトのピアノ曲の集大成といってよく、シューベルトのロマンチシズムの究極的な表現になっている。この曲集をつぶさに聞いていると、ショパンはすぐ目の前にあるといってよい。シューベルトは浪漫派の作曲家と言われているが、交響曲や協奏曲ではあまり成果を残せなかった。しかし、歌曲集やピアノの即興曲集で浪漫派を大きく前進させることが出来た。

シューベルトの即興曲は、ピアノの技術としては中級クラスで、ドビュッシーの「子供の領分」などと並んで少年少女によくひかれる曲集である。それだけに、シューベルトを理解する大変よいテキストにもなっている。ショパンに入る前奏曲のような曲集であるといってよい。ここで利用するディスクは、ピリスの1996にレコーディングしたものである。ピリスは、一音一音を慈しむようにひいており、シューベルトのロマンチシズムが心にしみ込んで来るかのようである。理想的な演奏であると思う。

死の前年になったこれらの即興曲には、シューベルトの晩年の寂寥感、諦念などが反映しており、美しくもはかない世界をなしている。ここでは4つの即興曲D899(作品90)の心象風景を探ってみたい。

4つの即興曲D899(作品90)

第一番
♪♪    

冒頭に曲のテーマが奏されるが、死を予感した諦めにも似たムードを漂わせている。愛の背後から死が忍び寄っているような印象を受ける。次第に寂寥感が深まっていく。中間部で愛の時めきのような美しい部分があるが、諦念に似たイメージに変わっていく。

                       目を閉じて     ルドン

                      

ルドンは、世紀末の象徴派の画家である。ルドンの絵画には目を閉じた人物がよく現れる。キリストも釈迦もビーナスも目を閉じている。目を閉じることは、瞑想を意味すると伴に、20世紀には、キリストや釈迦の教えも通じないことを暗に示している。

「目を閉じて」若い女性が目を閉じているのは、無論瞑想している意味もあるが、若さも死には無力であることを暗示しているともいえるのである。世紀末の象徴派の画家にとっては、美も愛も死と滅亡には無力であるという悲観的な思想が支配的であった。

第二曲♪♪   

ピアノ走る音は、派手な印象を受けるが、木枯らしのようでもありむしろ寂寥感を煽っている。ピアノは重い響きに変わる。ここには死が迫っている。繰り返して曲を終わる。

                      ガラテア     モロー

                          

モローもフランス象徴派の画家である。モローの場合には、生と死のテーマはもっとはっきりしてくる。ガラテアは海のニンフである。ガラテアは海の妖怪である三ツ目のポリュフェモスに愛される。場面は海底である。ガラテアは愛と生の象徴であり、ピュフェモスは死と滅びの象徴である。その二つは、全く別物ではなく、隣合わせになっているというのが、象徴派の思想である。

第三曲♪♪   

シューベルトの中でも最も美しい曲である。この曲には、不安や寂寥感は感じられない。フォーレを先取りしているような淡く色彩的な曲である。シューベルトの浪漫の究極である。

                                 白のシンフォニー第三番   ホイスラー

                                 

ホイスラーは、英国の画家でパリでマネと同時期に活躍した。今では印象派として扱われている。白のシンフォニーの連作は彼の代表作である。この白の第三シンフォニーでは、純粋に美を求める唯美主義が濃厚にみられる。白という明るい色彩感覚は印象派的である。二人の少女をモデルにしただけの絵画であるが、ほのかなロマンチシズムが横溢している。

第四曲♪♪    

花びらが散るようなピアノのフレーズが華やかなイメージを煽っている。中間部に美しい時めきがある。短調の部分があり、複雑な心境が伝わってくる。ロマンチシズムと同時に物語性を感じさせる曲であると思う。やはりシューベルトの浪漫の究極がここにある。

                               バルコニー        マネ

                              

左手に見える女性がモリゾである。マネが描いた女性像の中でも、「バルコニー」のモリゾは最も美しい。モリゾは元々画家志望でコローの弟子であった。ルーブルで模写をしている処をマネの友人がみつけてマネに紹介した。マネは、美貌のモリゾをモデルにして多くの絵を描いた。モリゾはマネの弟子になり絵画を学ぶと伴に、印象派の多くの画家と知り合った。マネはすでに結婚していたが、モリゾが意識していたのは手紙などみても予想がつく。マネは、才色兼備のモリゾに優位を保てなかったとも言われている。モリゾは、マネの弟のウジェールと結婚した。


初中期の弦楽四重奏曲

シューベルトは交響曲や協奏曲ではぱっとしなかったが、室内楽では名曲を残している。弦楽四重奏曲では、晩年の二曲が圧倒しているが、初中期でも清々しい名曲を幾つか残している。ウィーンで活躍した作曲家は多いが、シューベルトは生粋のウィーン子で、垢抜けたセンスがあったようだ。ハプスブル家の帝都であるウィーンの雰囲気を小さい頃から吸っていたシューベルトには、他にはないウィーンの光景が目に入っていたはずである。ここでは、弦楽四重奏曲の初中期の名曲を幾つか挙げてみたい。

弦楽四重奏曲変ホ長調 D36♪♪

非常に若い番号がついているが初期の傑作の一つである。その清々しさは宗教的といってもいいほどだ。

第一楽章アレグロ
変奏曲のように同じ主題が繰り返されるが、その清々しさは口では表現出来ないくらいだ。


第二楽章アンダンテ
ロココスタイルを想わせる優雅な楽章である。

第三楽章メヌエット
ロココスタイルを感じさせるが、シューベルトの写実的な描写も入っている。


第四楽章アレグレット
一転して夏の高原を歩いているような自然描写になる。

弦楽四重奏曲変ロ長調 D112♪♪

この作品もウィーン近辺の自然を清々しく表した名曲である。

第一楽章アレグロ
この楽章は14分もある大曲である。モーツアルトのハイドンセットを意識して書いたのか、念の入った楽章である。

ウィーンにあるモーツアルトの有名な肖像である。日陰が微妙な詩情を感じさせる。


第二楽章アンダンテ
短調の楽章で雪景色を見てるようである。


第三楽章メヌエット
明るい優雅な楽章である。




第四楽章プレスト
人の姿が見える何気ない庭園の景色。


弦楽四重奏曲ホ長調 D353
♪♪

曲想の中に歌心が現れてくる。人の姿なども見えてくる。

第一楽章アレグロ
喜びに満ちた明るい楽章である。


第二楽章アンダンテ
春の喜びを歌っているような明るい楽章である。


第三楽章メヌエット
弾むような喜びをもったメヌエットである。


第四楽章ロンド・アレグロ・ヴィヴァーチェ
翼を得てウィーンを眺めてるようだ。


四重奏曲第13番「ロザムンデ」♪♪

シューベルトは、ベルリンの女流作家ヘルミーネ・フォン・ジェシーの「ロザムンデ」の為の劇音楽を依頼される。10曲から付随音楽を完成させた。その中の第三幕間奏曲アンダンティーノが、弦楽四重奏13番の二楽章アンダンテに応用された。このメロディーはシューベルトの好んていて、即興曲にも引用されている。そこから、この弦楽四重奏曲を「ロザムンデ」と呼ばれるようになった。

第一楽章
何か悲劇を連想させるようなロマンチックな曲である。第一主題の悲しいメロディーはさらに劇的になっていく。繰り返される。第二主題では何処かそれを憐れんでいるような雰囲気もある。

ローラ             ジェルヴェクス

ローラとはこの男性の名である。ローラは自殺を決心していた。そして、美し娼婦と一夜を伴にして、これを最後の名残にして、朝に毒杯をあおぐ。アルフレッド・ミュッセの詩に重ね合わした絵画である。何といっても美しい娼婦の姿が目をひく。娼婦はぐっすり寝ているが、ローラは朝日に照らされている。

第二章アンダンテ
劇音楽ロザムンデから引用したメロディーが美しい。何処か哀調を秘めていて、何かを憐れんでいるようにも受け取れる。この様な感情的な楽章構成は次の弦楽四重奏「死と乙女」にも引き継かれている。

第三楽章メヌエット
このメヌエットも優雅なハイドンのメヌエットとは違い、哀感を秘めていて物語の一部をなしているようである。中間部に優雅で清々しい部分がある。再び最初に戻り繰り返す。

第四楽章
優雅な舞踏を思わせる美しい楽章である。強く主張する場面もあり、先の物語とつづいている様子もあるようだ。


弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」♪♪

この弦楽四重奏曲も、第二楽章に歌曲「死と乙女」のピアノ前奏のコラールが使用されていることから「死と乙女」と呼ばれている。全楽章が短調の曲は、浪漫派ではこの「死と乙女」とショパンの「葬送行進曲」しかない。

浪漫派で「死と乙女を」を最も連想する題材は、オフィーリアであろう。ハムレットが亡き父からの言葉を聞いてから、激変した最愛のハムレットに突然無視されて、「尼寺へ行け」と言われてしまう。さらに、オフィーリアの父親(城の執事)があやまってハムレットから殺されてしまう。オフィーリアは絶望して、足を滑らせて川に落ちて水死してしまう。この題材は19世紀の浪漫派や新古典主義の画家から繰り返し描かれている。

第一楽章
稲妻の様な音楽から、悲劇的な音楽がつづき最高潮になり、比較的な平和な第二主題が現れるが、またもや悲劇的な音楽がつづくが第二主題が現れて落ち着いて終了したように思うが、しかし、これは小休止であり、再び悲劇的な音楽がつつき最高潮になるが、平和な第二主題が現れる。再び悲劇的な音楽がつづくが、ある程度収まっていき、最後に高まるがそれも収まり、静かに全体を終了する。

第二楽章アンダンテ
歌曲「死と乙女」のピアノの前奏のコラールが弦楽器によって流される。あたかも悲劇の主人公を憐れむように。最初のメロディーが変奏されていく。中間に安らかな変奏曲があるが、それにもコラールの影響がある。

第三楽章スケルツォ
この悲劇的な音楽につづくようにツケルツォが演奏される。中間のトリオでは、平和で安らかな音楽が流れる。再びスケルツォが繰り返される。

第四楽章
分かりにくい音楽だが、悲劇的な物語が走馬燈のように走り去っていく感じがする。中間部も初めは大きな構えになるが、やはり物語を早く通りすぎるようなイメージがある。このようにして、この悲しい物語を締めくくっているのだろう。最初の音楽に戻るが、その後に中間部の大きな構えになり、遠くの過去を眺めるような雰囲気になり、つづけて最初の音楽になりついに終了する。

オフィーリア          ウォーターハウス


     オフィーリア

   神のお告げを 聞きしより
   ハムレット様 変はりたり
   崇高なりし 使命帯び
   天だけみつめ 歩きたり

   かつて二人は 愛し合ひ
   二人は常に 伴ならん
   笑顔でみつめ 抱きしめて
   優しきキスを 交はしたり

   父ポロニアスを 疑ひし
   ハムレット様 不機嫌に
   尼寺へゆけと 申されき
   信じられざる 言葉なり

   唄を歌いて 花を摘み
   野原に横に なりにけり
   乙女の身体(カラダ) ほてりたり
   今はなきなり 君のキス

   花の顔(カンバセ) 悩ましく
   手に取る花も 萎(シオ)れたり
   白き衣は 透けたりて
   乙女の身体(カラダ) 露(アラ)はなり

   春の女神の フローラよ
   熟れた身体(カラダ)を 受け止めよ
   今にも地にへ 落ちんとす
   愛の花園 連れゆけよ

   父の死を知る オフィーリア
   頭朧に なりたりて
   とめどもなくて 彷徨へば
   足を滑らし 河に落つ


四つの即興曲作品142 D.935♪♪

この即興曲は、死の前年の1827年の12月に完成された。即興曲はソナタなどと違いシューベルトが音楽形式にとらわれず、最も自由に書いたピアノ曲で、最もロマンチックな曲集である。しかし、シューベルトは1827年頃から体調不良に見舞われていて、死を心の中で意識していたといわれている。そのような生への諦念のような感情も含まれている。

第一曲
幻想的な雰囲気を持ち、華麗な印象はほとんどない。ここには体調不良によって自分の命が残り僅かであることを悟っているかのようでもある。ロマンチックではなくペスミスチックなのである。

第二曲アレグレット
やはり幻想曲風で、何か深い諦念の意識が込められていると思うのは筆者だけであろうか。中間部もやはり幻想曲風である。

第三曲アンダンテ、変奏曲
弦楽四重奏曲の「ロザムンデ」の第二楽章の愛おしむようなメロディーがここでも使用されている。五つの変奏からなりだんだん華やかになっていく。中間には重々しい変奏曲もあるようだ。一転して、華やかな変奏曲になる。この辺りはピアニストの腕の見せ所であろうか。その後は華麗なワルツのような変奏曲になり、浪漫派らしさを演出している。最後は軽く締めくくっている。

第四曲ツケルツォ
舞踏的なスケルツォで、走馬燈のように、全てがはかなく過ぎ去っていくような印象があるが、曲想が変わり一度曲が消えかかる。そして、また舞踏的なスケルツォになるが、最後は突然派手な音楽で終了する。音楽的に高度な曲であると思う。こんな感情の起伏の烈しい曲は並の人間には書けない。

アドニスの死           ウォーターハウス


ヴィーナスは愛するアドニスに狩りに森に行くのを止めるが、アドニスは言うことを聞かず、ついに森の獣により倒されてしまう。血を流して倒れているアドニスを見つけて介抱するが、それも無駄であった。アドニスの血の跡から咲いた花がアネモネであったという。


                              ヴィーナスの恋

                            言い寄りたりし あまたあり(ヴィーナスに)
                            受け身の愛に ありたりや
                            自ら恋す 初めての
                            憧れたりし アドニスよ

                            少年のごと 甘き顔
                            純真なりや まなざしの
                            何故か愁ひを 秘めたりや
                            年甲斐なくも 惚れたりや(ヴィーナスが)

                            母なく育つ アドニスよ
                            愛に飢ゑたる アドニスよ
                            優しき愛で 抱(イダ)かれば
                            乳房を愛し 甘へんや

                            年頃なれば 求めたる
                            愛の行為に 導きて
                            二人伴にて 極まりて
                            愛の歓び 酔ひたりし

                            永遠(トワ)の人とも 想ひたり
                            愛の宴は つづかんや
                            雲のしとねに 伴にあり
                            天の祝福 彩(イロド)らん

                            冥府の女神 ペルセポネ
                            冥府によびて アドニスを
                            己のものに なさんとす
                            嫉妬に狂ひ 謀(ハカ)りたり

                            狩りを勧めん アドニスに(ペルセポネが)
                            ヴィーナス止めて 諭せども
                            狩りに夢中に なりたりや
                            されども罠に はまりたり

                            アレス(元ヴィーナスの愛人)猪に 変身し
                            アドニス襲ひ 倒したり
                            血を流したる アドニスを
                            介抱すれど 甲斐なしや

                            ヴィーナス歎き 悲しみて
                            アドニスの血に ネクター(神酒)を
                            注ぎにけりや 涙して
                            永遠の恋人 失へり

                            視よ!血の跡に アネモネの
                            紅き花にぞ 咲きにける
                            人々語る アネモネを
                            アドニスの花と 呼びたりや
















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