ヴェネチアの芸術(Art of Venice) 

 ルネサンスのヴェネチアでは、ローマやフィレンツェとは傾向の違う絵画が発達した。ローマやフィレンツェでは、ラファエロやダ・ヴィンチが古典的な絵画を追求していたが、ヴェネティアでは、古典主義にとらわれない、もっと自由で印象を重視した色彩的な絵画が発達する。ティチアーノやヴェロネーゼ、ティントレットといった画家が出て黄金時代を迎える。このようにヴェネチアでは古典主義にとらわれない自由な気風がみなぎっていた。17・8世紀になって音楽でもそのような傾向は現れている。この時代にヴェネティアでは二人の優れた音楽家が出ている。アルビノーニ(1671〜1750)とヴィヴァルディ(1678〜1741)である。


アルビノーニ(Albinoni)

 アルビノーニは、「アルビーノーニのアダージョ」で有名であるが、この曲を聞いているとまるでロマン派の曲と間違えるほどロマンチックである。アルビノーニは、もともとオペラの作曲家であったが、現在聞かれているのは、作品7と作品9の協奏曲集である。作風はコレルリに似て、穏やかで古典的であるが、よく聞いているとメロディーが美しく、ほのかなメランコリーが感じられて、ロマンチックな特徴を感じさせる。このようなロマンチシズムこそヴェネチア派の特長である。


アルビノーニのオーボエ協奏曲

弦楽協奏曲ト長調作品7−4
 ♪♪

 第1楽章は長調であるが、ほのかなメランコリーが霞んでいてロマンチックである。このメランコリーこそアルビノーニ独特の感性である。曲調はあくまでコレルリ風で典雅であるが、そこに、「もののあはれ」とも云えるような不思議なメランコリーが漂っている。秋の夕暮れの風景のようでもある。

オルフェオとエウリディーチェ       ティツィアーノ


ティツィアーノの「オルフェオとエウリディーチェ」はヴェネチア派の色彩感覚の顕著な作品で、まるで近代ロマン派の絵画を見ているようである。エウリディーチェが蛇に噛まれる瞬間を捉えたものだが、劇的な効果と伴に夕焼けが印象派のような光の効果を醸し出している。ルネサンスの時代に、このような近代的な光の効果を表せたティツィアーノは、やはり希有な天才である。この絵画には秋の夕暮れの歌のような哀調がないだろおうか。アルビノーニのオーボエ協奏曲のメランコリーに共通した趣があるような気がする。ヴェネチアの芸術は何れにしてもロマンチックなのである。


源氏物語ともののあはれ

 江戸時代は、儒教により政治が行われた時代であった。しかし、幕末になると古代の日本的な文化を見直す運動が興ってくる。一つは、古事記や万葉集の時代に日本人の真の姿を観ようとするもので、「ますらをぶり」の尊皇思想をもたらした。もう一つは、平安文学を「もののあはれ」ととり、儒教や仏教で捉えるものではなく、あくまでも、王朝の雅びとして純日本的な文化として捉えようとするものであった。ますらをぶりともののあわれは、幕末の国学者や勤王の志士の根源的な発想であったと考えられる。国学者の本居宣長は「源氏物語」を国風のもののあはれとして絶賛して、日本人の本来的な情緒のあり方であると考えた。事実、平安時代の国風文化こそ、日本文化として世界に誇りうる雅やかな文化であるからである。

ところで、ここでもののあはれに言及したのは、アルビノーニの音楽の中に源氏物語に観る「もののあはれ」に相当するような情緒があると想われるからである。先のニ長調とともに、



オーボエ協奏曲ニ長調作品7−6 ♪♪

などを聞くと源氏物語の一場面が浮かんでくるかのようである。もののあはれといえば、若紫の巻の出だしなどは情緒的で美しく、もののあはれを感じさせる場面である。ここに、若紫の巻のあら筋と光源氏と若紫とが出会う場面を原文で紹介しよう。


「源氏物語」「若紫」の巻

 わらわ病をわずらった源氏(18歳)は、三月の末、北山の年老いた修行者のもとに、加持祈祷を受けに赴く。その北山で、源氏は、ある僧都の庵室に祖母と共に身を寄せていた美しい少女を見初める。少女は、源氏が恋したってやまぬ藤壺の女御に生き写しであった。それも道理、少女は藤壺の姪に当たる人だった。

源氏、僧都の坊に美しい少女(若紫)を垣間見る。


 日もいと長きに、つれづれなれば、夕暮のいたう霞みたるにまぎれて、かの小柴垣のもとに立ち出でたまふ。人々はかえしたまひて、惟光の朝臣とのぞきたまへは、ただこの西面にしも、持仏すゑたてまつりて行ふ尼なりけり。・・・

きよげなるおとな二人ばかり、さては童女ぞ出で入り遊ぶ。中に十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなれたる着て、走り来る女子、あまた見えつる子どもに似るべうにもあらず。

いみじくおひさき見えて、美しげなる容貌
(かたち)なり。髪は扇をひろげたるようにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。「何ごとぞや。童女と腹立ちたまへるか」とて、尼君の見上げたるに、すこしおぼえたるところあれば(慕っている藤壺の女御に似ている)子なめりと(源氏は)見たまふ。「雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠(ふせご)のうちに籠めりつるものを」とて、いとくちおしと思へり。・・・

つらつきいとろうたげにて
(顔がとてもあどけなく)眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額づき、髪ざし、いみじううつくし。

ねびゆかん
(成長する)さまゆかしき人かなと、(源氏は)目とまりたまう。さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人に、いとよう似たてまつれるが、まもらるるなりけり、(目が離せないのだ)と思ふにも涙ぞ落つる。

尼君、髪をかき撫でつつ、「けづることをも、うるさがりたまへども
(髪をとくことも、おいやがりですが)、をかしの御髪や(なんと美しい髪でしょう)。いとはかなうものしたまふこそ(ほんとに子供っぽくていらっしやるのが)、あはれにうしろめたけれ(先行きが気がかりですが、それだけにいとおしい)

かばかりになれば
(これぐらいの年齢になれば)、いとかからぬ人もあるものを(このようにでもない方もありましょうに)、故姫君は、十ばかりにて殿におくれたまひしほど、(亡くなられた姫君は、十歳の時に主人に先だたれておしまいになったが)、いみじうものは思ひ知りたまへりぞかし。ただ今おのれ見捨てたてまつらば、いかで世におはせむとすらむ(いかにして世を渡ってお行きになるのでしょう)」とていみじく泣くを見たまふも、すずろに悲し。

をさなごこちにも、さすがにうちまもりて
(さすがに尼君をみつめて)伏目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪、つやつやとめでたう見ゆ。

  生ひ立たむありかも知らぬ若草を
     遅らす露ぞ消えむ空なき
(これからどこでどう育っていくのかも分からないこの子を見守る私[露]は、死のうにも死にきれません)

またゐたる大人、げにとうち泣きて

  初草の生いゆく末も知らぬまに
     いかでか霧の消えんとすらむ
(お姫様のこれから先も分からぬうちに、どうして先立たれることなどお考えなのでしょうか)

あさきゆめみし     ©大和和紀



                              愛しき童女

                            美人薄命 世に言へど
                            余りに早き 女(ヒト)の死に
                            帝(ミカド)は深く 悲しみぬ
                            残されし子は 如何せん

                            幼きころに 母君を
                            亡くし給へり 光君
                            高貴な身とは 言はれども
                            その淋しさは 限りなし

                            みつめ給へる 母もなく
                            笑み浮かべたる 母もなく
                            言葉給へる 母もなく
                            愛し給へる 母もなし

                            花を母とも 想へども
                            蝶を母とも 想へども
                            鳥を母とも 想へども
                            誰(タレ)も言葉を 語らずや

                            華やかなりし 宮殿に
                            侍女に囲まれ 育てども
                            心は闇に 変はらずや
                            すがるものとて 無からんや

                            愛にうゑたる ひかる君
                            誰(タレ)も心を 知らざりき
                            母の面影 求めてぞ
                            さすらう姿 あはれなる

                            母の面影 抱きたる
                            藤壺の君 憧れど
                            母にならざる 母なれば
                            身を隠して 去りにけり

                            母を求めて 三千里
                            愛の軌跡を たどれども
                            心の隙間 埋めるべき
                            愛何処(イズコ)にも なかりけり

                            垣間見たりき 童女(ワラワベ)に
                            藤壺の君 思ふれば
                            涙落ちたり はらはらと
                            愛しきことの 限りなし

                            童女(ワラワベ)なれど 引き取りて
                            身近に置きて 育てたり
                            見目美はしさ 限りなく
                            萌ゆ草のごと 若々し

                            母の面影 重なりて
                            初めて母に 出逢ひたり
                            母のみならず 妻となり
                            生涯の女(ヒト)と なりにけり

                            母を訪ねて 三千里
                            遂に出逢ひし 母なりき
                            生まれ変わりて(亡き母が) 母となり
                            生まれ変わりて 妻となる


                            面影の 母を願ひて みたれども 愛する女(ヒト)は はかなからんや

                            垣間見た 童の姿に 涙して 母を想ひて 育てたりけり

                            萌ゆるごと 見目美はしき 乙女かな 姿変へたる 母なるらんや



ヴィヴァルディ (Vivaldi)

 もう一人のヴェネチアの作曲家がヴィヴァルディである。ヴィヴァルディになるとロマンチックな傾向がさらに強くなる。ヴィヴァルディの曲に古典主義を見いだすことはできない。有名な「四季」や作品3の「調和の幻想」などを聞くと、ヴィヴァルディの才能を感じることができる。現代にも通じるロマンチシズムがあり、ドラマ性を含んでいる。たぶん才能のある監督であれば、「四季」(Vivaldi's The Four Seasons)をバックミュージックに、ロマンチックで劇的な、そして深い余韻のあるドラマを創作することができるであろう。そのような意味で、ヴィヴァルディの音楽は芸術家に様々なインスピレーションを与えることができると思う。

「四季」を聞いている者は、各自勝手に自分の好きなドラマを当てはめることができるのである。「四季」が、これほど現代人に人気があるのはこのようなところにあるのではないだろうか。青春の思い出を「四季」にダブラせている人は、案外多いのではないだろうか。まさに、甘く、切ない、そして 清純な思い出にぴったりであるように思える。ロマン派のように英雄的ではなく、もっと清純で、ロマンチックな思い出にぴったりするのではないだろうか。とにかくヴィヴァルディの音楽を聞いていると、美しいドラマに酔うことができるのである。それがヴィヴァルディの魅力なのだ。



「四季」

 四季の春の第三楽章「田園舞曲」♪♪は、四季の中でも明朗なイタリア風の爽やかな曲である。霞むような春風に、何かしら予感めいた動きを感じさせる。ヴィヴァルディの曲はロマンチックである。秘めたドラマがあるような不思議な印象を与える。

田園の楽奏                       カリアーニ

カリアーニは16世紀ルネサンスのヴェネティアの画家である。この頃の貴紳は、戸外で音楽を楽しむ習わしがあった。音楽は、彼らの教養の中でも高い位置に置かれていた。

涼しげな風に吹かれて、田園の楽奏を聞きながら、何やら物思いに耽っている森の精ニンフが横たわっている。長閑なだけではなく、何かしらの詩情を感じさせる絵画である。ヴィヴァルディの「田園舞曲」の春風に抒情性を感じさせる雰囲気に似たところがあると思う。


                             花神フローラよ

                           春風の吹く 田園の
                           霞たなびく 情景よ
                           花咲き乱る 艶(アデ)やかさ
                           眠りを誘ふ 微風(ソヨカゼ)よ

                           初音嬉しき 鶯よ
                           陽気に踊る 娘たち
                           楽の音聞こゆ 安らぎよ
                           風も歌はん 爽やかに

                           されども去らぬ 憂鬱よ
                           愛しき人は 去りにけり
                           人の心の はかなさよ
                           孤独の淵に 臨みたり

                           瞳閉じれば 夢にみん
                           君の笑顔の 愛らしき
                           永遠(トワ)の人と 想ひしを
                           何故ゆきにけり 一人置き

                           春の女神の フローラよ
                           愁ふる心 慰めよ
                           汝の園に 連れゆけよ
                           命の水で 清め去れ



「万葉の娘たち」

 テレビドラマ「万葉の娘たち」は、1981年まだ筆者の大学在学中にNHKで放送されたドラマである。確か夏休みで里に帰ったときに、当時人気のあったヴィヴァルディだけのBGMで放映されているドラマがあり、興味をもってみはじめた。四夜の連続ドラマであり、また配役が当時人気のあった若手女優、伊藤欄、森下愛子、田中裕子、名取裕子、自殺した陶芸家には野際陽子と言う豪華キャストであり、すっかり大和路の物語にはまり込んでしまった。休みが明けて学校へ行って友人を訪ねると、すでにドラマのことで話題が持ちきりであったことに改めて驚いた。

筆者には大和路とヴィヴァルディの音楽が余りにも合っていたのが一番の感動であった。今でも、古都奈良に行くとヴィヴァルディを連想するのはそのせいかも知れない。四夜の物語には、それぞれ礼子、義子、智子、仁子(マサコ)が主役になり、短大の講師で陶芸家の謎の死をたどっていく筋になっているが、独立した物語としても楽しめるようになっており、文学的なセンスの高いドラマであった。ここでは、四人の娘子(オトメ)の物語を文語詩の形で追ってみたい。

使用する音楽は、有名な四季の含まれている「和声と創意への試み」作品8の中から引用している。何と言っても四季はヴィヴァルディの最高傑作であり、四季なくして物語を語ることは不可能であると思う。

第一夜礼子

協奏曲第六番ハ長調「喜び」第一楽章・第二楽章♪♪

                              礼子

                            あおによし 奈良の甍(イラカ寺)に育ちたる
                            奥ゆかしき 深窓の令嬢よ
                            初々しき美はしさ 処女のごとし

                            かつて愛人の ありたる男と 
                            熱望されて 婚約せん
                            それゆえか 美人講師
                            吉野川に 謎の死を遂げたりや
                            死の原因を 疑はれたる礼子
                            婚約を 解消す

                            しかるべき人を 通して
                            テレビ局に 就職内定すれど
                            それゆえ 採用の取り消されたる義子に 
                            恨まれたり
                            内気で 慎ましき礼子
                            就職も 辞退す

                            世の中に 失望したる礼子
                            短大で学びたる織物に 専念す
                            鶴の恩返しの ごとくに
                            機織る姿は 一途なり

                            死因は 礼子にあらず
                            女性講師の 保証人借金に由来す
                            ぬれぎぬは 晴れたりとはいへども

                            美はしき令嬢の ひきこもり
                            余りにも 惜しきなり
                            天に愛されたる 娘子(オトメ)よ
                            清らなる 純真なる礼子に 
                            必ずや良き人の 現れること
                            天の約束せずこと なきなりや

                            清らなる 娘子(オトメ)の心 知らずして 
                            如何に噂の 冷ややかなりき


斑鳩 法輪寺とコスモス



第二夜義子

協奏曲第二番「夏」第一楽章♪♪

  
                            義子

                            万葉の歌人に ひかれ 
                            まほろばの(最も秀でた地の) 大和路の 
                            短大に 学ぶ
                            ロマンチストなる 義子よ
                            ジャズダンスを 踊る
                            健やかで 美はしき義子よ
                            週末は テレビ局でアルバイトする
                            明朗活発な 義子よ

                            頑固な父に 育てられ
                            反発して 富山から 
                            都会に 出(イ)で来たる義子よ
                            兄は ぐれて
                            ヤクザに刺され 死ににけり
                            よくみる トラウマの幻影よ
                            雪の舞ふ 北陸の荒れたる海
                            海鳴りと 海猫の鳴きたる声

                            卒業後 テレビ局に
                            就職の 決まれども
                            突然 解約されたりて
                            将来に 希望を失ひき

                            土器の 復元に
                            命を燃やす 義子よ
                            大学の 研究室に
                            残ることを 考へたり

                            ボーイフレンド ありたれど
                            家業を 継ぐために
                            愛と結婚を 区別せんとす
                            壁に当たりたる 義子よ

                            卒業後の生活に 悩み
                            自活の道を 探りたり
                            まほろばの 大和路に限りなき
                            浪漫を抱く 義子よ

                            テレビ局に 勤めたることを諦め
                            考古学の 研究室に
                            残ることに 定めたり
                            まほろばの 大和路に夢を託する
                            覚悟を なしたり

                            万葉の 歌人にひかれ 大和路に 
                            身を捧げたる 娘子(オトメ)なりけり


東尋坊の冬景色



第三夜智子

協奏曲第一番「春」第三楽章「田園舞曲」♪♪


  
                            智子

                            あおによし 奈良の 
                            芸者の置屋に 育ちし智子よ
                            父は東京の 考古学の学者なりき
                            母は古都の 芸者なりき
                            母を幼くして 失ひし智子
                            置屋の女将(オカミ)に 育てられたり
                            義母想ひの 心優しき智子よ
                            健やかにして テニスの絵になる智子よ

                            幼き日 春日大社の万灯籠(バントウロウ)の
                            光の回廊を 父に手をひかれたる
                            手の温もりを 今も覚えたる智子よ
                            優しき父を愛し 尊敬したる智子よ
                            ある時 父斯くのごとく 
                            和歌 読みき

                            世の中は 空しきものと 知る時し
                            いよいよますます 悲しかりけり    大伴旅人

                            されば その時より 
                            父と逢うこと なかりけり

                            今も父を 慕ひ 
                            短大の考古学を 専攻したる智子よ
                            研究室に 残る希望の持ちたり
                            されども 義母がしかるべき人と
                            結ばれることを 望んだり
                            見合の 相手に 
                            父の話をしたるがゆえに 断られたり
                            智子 ショックを隠せず
                            考古学を 断念す
                            義母がかつて 望みたりける
                            置屋を 継ぐことを決意す
                            義母 拭へども涙とまらずや

                            父慕ひ 逢はんと想ふ 心をや
                            忘れても尚 家継がんとす

                            義母想う 娘子(オトメ)の心 いぢらしく
                            愛しき心 美しきかな



春日大社釣灯籠



第四夜仁子

協奏曲第四番「冬」第一楽章・第三楽章♪♪

                              仁子

                            飛ぶ鳥の 明日香の地に 
                            育ちし 仁子(マサコ)よ
                            仁子の 中学生のころ
                            母親が セールスマンと
                            駆け落ちす
                            孤独で 暗き
                            思春期を 送りし仁子よ

                            短大にゆき 信子先生に憧れ
                            やっと陶芸に 道をみつけたり
                            されども 信子は吉野川で
                            謎の 入水自殺す

                            八雲さす 出雲の子ら(女)が 黒髪は
                            吉野の川の 沖になづさう       柿本人麻呂

                            余りの衝撃に ゆくあてを失へり
                            伴に 焼いた
                            信子の最期の 絵皿をみては
                            涙ぐむ 仁子(マサコ)よ
                            自殺の謎を 追及せんとす
                            恋敵(コイガタキ)であった 礼子を疑へり
                            されども 新事実出でにけり

                            信子 保証人で大金を背負へり
                            経済的自立を 標榜したる
                            信子の自信は 覆へされたり
                            将来を悲観して 自殺を図りたりき

                            仁子(マサコ) アルバイトで買い取りたる
                            信子の 絵皿を
                            吉野川に 静かに流したり

                            夜のアルバイトが バレて
                            仁子(マサコ) 退寮を勧告さる
                            飛ぶ鳥の 明日香の 
                            実家に 帰りたり
                            後は 卒業製作のみなり

                            同僚の 義子 
                            仁子(マサコ)の 実家のある
                            飛ぶ鳥の 明日香を訪ねたり
                            野仏の 径を
                            石舞台の 径を
                            飛鳥寺の 径を
                            駆け 寄りて 
                            抱き合う 義子と仁子

                            義子は 考古学の道を
                            仁子(マサコ)は 陶芸の道を
                            生きる 支へとすべきことを
                            誓ひながら

                            お互いに 若き命を 燃やしつつ
                            自立の道を 求めゆかんや

                            大和路に 無量の夢を 託すれば
                            古代の神も 助け給はん



冬の石舞台



「四季」の演奏
(Paformance of Vivaldi's The Four Seasons) 

 ヴィヴァルディの「四季」といえば、バロック音楽の名曲中の名曲である。したがって、いろいろな演奏を聞くことができる。一つは、バロックアンサンブルで有名なイ・ムジチの演奏がある。もう一つは、古楽器アンサンブルのコレギウム・アウレウムの演奏がある。コレギウム・アウレウムの演奏は、テンポがゆったりしていて、優雅でよく歌っている。しかし、古楽器の限界か、独奏ヴァイオリンの音の線が細くヒステリックに聞こえるのが残念である。

もう一つは、カラヤンとムターの演奏がある。カラヤンは、「四季」をロマン派のように劇的に演出している。オーケストラは雄弁で「四季」のもつドラマ性が極限まで表現されている。しかし、ムターのヴァイオリンが貧弱に聞こえて、弦楽合奏とムターのヴァイオリンがアンバランスで全体の構成に難点がある。

それに比べ、アゴスティーニ(ヴァイオリン)のイ・ムジチの演奏(1988)は、さすがに、弦楽合奏と独奏ヴァイオリンの息が合っていて、ヴァイオリンが何よりも雄弁に語っている。そして、テンポは幾分早めで劇的であり、しかもよく歌っている。イ・ムジチはロマンチックな「四季」の演奏に成功している。また、通奏低音にチェンバロとオルガンを使用しているのも、曲に厚みとロマン性をもたらせて成功している。アゴスティーニの率いる イ・ムジチは、ほとんど完璧な「四季」を創作している。これ以上の「四季」はなかなか望めそうにない域に達していると思う。




J.S.バッハ                                                                   トップページ